子育てにおいて、なぜ親は子どもから離れるべきなのか
子育てにおいて、親は子どもから離れるべきである。親は自分の子どもから、距離を置くべきなのだ。その考えは今も変わらない。改めて、その理由を記しておこうと思う。理由は3つに分けられる。
子育ては基本的にストレス行為
まず第一の理由は、子育てが基本的にストレス行為だからである。
子育ては基本的に、ストレス行為であることを忘れてはならない。もしもあなたが「子どもと一緒にいることは、何よりも尊いことだ」などと考えているのなら、「べき論」に侵されていると言っていい。べき論とは、「〇〇なら△△すべき」といった類の主張である。世の中には色々なべき論が溢れている。「店員はお客様に対して低姿勢であるべき」「子どもは勉強すべき」などである。「親であれば子どと一緒にいるべき」というのも、べき論だと考えていい。
もっと素直に自分の主張をしてはどうか。もっと自分の本音を意識してみてはどうか。それは、自分の頭で考えることに似ている。他の人から聞いた内容、インターネットを検索して出てきた情報、権威ある人や専門家や偉い人から得たアドバイス。それを人の意見として参考にするのはいいが、さも自分の意見のように右から左へと流していては、どれが自分の本心なのか、分からなくなってしまうだろう。
そうやって自分の頭で考えない結果が、自分の意見を持たない結果が、自分の本心から目を背ける結果が、社会問題となっているネグレクトや赤ちゃんポストや虐待なのであろう。
ストレス行為はストレス行為として、声を上げるべきなのだ。嫌なことは素直に「嫌だ」というべきなのだ。苦しいことは苦しいこととして「苦しい」と訴えるべきなのだ。その本音を無視した結果が、世の中に歪みをもたらすのだ。現実的な問題となって現れるのは犯罪である。
周りの声、人の目、社会のべき論、そんなものは無視して、もっと自分の声に素直になるべきなのだ。それは、子育てという枠にとどまらない。ビジネスにも当てはまるし、人生をという大きな枠でも当てはまるだろう。社会のべき論なんかに構わないで、「自分はこう思っている」という考えや悩みを素直に声に出せること。それが進むべき社会なのだ。とりわけ、「子育てはストレス行為である」というのも、声を大きくして訴えるべきなことだろう。社会が子育てをいまだに神聖視している。
「親であれば子どもの面倒を見るべき」や「親であれば子どもを可愛いと思うべき」など、社会のべき論からは売れた時に初めて、「じゃあどうしたらいいのか」という視点が生まれるのだ。
子どもにとって何が自立なのか
次に第二の理由として、「子どもにとって、何が自立なのか」である。
子育てをする意味とは、子どもの自立であることに異論を挟む親はいまい。誰でも子育てに意味として、子どもの自立である、という所に行き着くであろう。では、どういう段階が子どもの自立なのか。何を持ってして、子どもの自立と言えるのか。子どもの自立とは一体どういうことなのか。そこを考えたい。
20歳になることなのか。成人式を迎えることなのか。経済的に豊かになることなのか。就職することなのか。家屋を持つことなのか。自分で食っていけるようになることなのか。おそらく、自分で食べていけるように、経済的に自立すること、辺りが妥当だとは思う。が、実際に子どもの経済的に自立した時に、「自分は親がいたおかげで自立することができた」と考えるようでは、本当の自立とは言えない。自立としては不十分だ。「親のおかげでここまで来ることができな」とか「自立するように育ててくれた親に感謝する」などと言われては、子育てとしては失格なのである。
ではどうなればいいのか。どうなれば、子どもの自立としては十分なのか。それは、実際に子どもが自分で食べていけるようになった段階で、「親は何もしてくれなかった。だから、自分で道を切り開いてここまで来た」と思われることが、子育てとしては完成形なのだ。「自分の力でここまで登ってきた」と考えて、初めて子どもの自立として十分なのだ。
親が子どもと一緒に思い出を残して写真を撮ったり、一緒の楽しい経験をしたり。そんなことをしている場合ではないのだ。親は子どもから将来、感謝されることを望んではいけない。子どもから「ありがとう」と言われることを期待してはいけない。子どもから「お父さんやお母さんのおかげで・・」というセリフを願ってはいけない。
親とは、もっと影の存在なのだ。子どもの自立を願って子どもに対してアレコレすることは、自己矛盾でしかない。「自分で考えなさい」というアドバイスと一緒なのだ。
冒険の反対語が母親である
最後に、第三の理由として、「冒険の反対語が母親だから」である。これは、ある有名な漫画家が言ったセリフである。青少年の冒険、努力、勝利などを描く人気漫画家が、子どもに人気の少年漫画の主人公は、「母親がいなかったり母親の設定が曖昧なことが多い」ことの理由として言った言葉である。
子どもは親にとって大切な存在だ。だから、傷つくのを恐れるのだ。けれど、人間は傷つくことでしか成長し得ない。子どもが好きなあまり、子どもに対して盲目になってしまうのである。これは、顔を近づけると全体が見えなくなってしまうことに似ている。例えば本好きな人が、ある特定のジャンルの本ばかりを読んでいたら、その他のジャンルに対して盲目になってしまう。スポーツ好きな人が、特に野球が好きだからと言って、野球ばかりを見ていたら、スポーツ全体に対しては無知になってしまうだろう。
好きであるなら離れるべきなのだ。親は子どもを縛る存在だ。たとえどんなに「子どものために」と思ってしたことでも、そのこと自体、親の価値観の範囲内でしかない。どんなに考えたところで、親は子どもから20年も30年も古い存在でしかないのである。
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