思いやりを育む方法とは(その5)

2019.09.11 (水)

例えば、映画館に行ったとしよう。席に座って、さて、映画を見ようとした瞬間、前の席に座っている人間が、頭をゆらゆらさせていることが分かる。これでは見づらい。「注意しようかどうか」と散々迷った挙句に、「よし言ってやろう。注意してやろう」と思ったその瞬間に、後ろから「ちょっとアンタ、そんなに頭を揺らさないでくれよ。邪魔で見えないよ」と言われてしまう。こんな場面、身に覚えがないだろうか。その瞬間、あなたはどう思うだろう。後ろから「邪魔だよ」と言われた手前、前の人に「邪魔だよ」という勢いがなくなるのではないだろうか。「邪魔なのはオレも一緒か」とか「お互い様か」と、「相手も自分も、どっちも狭い映画館で自分のメリットを追求している、同じ人間だ」と思った瞬間に、冷めてしまわないだろうか。「相手に注意してやろう」という勢いが削がれるのではないだろうか。どんぐりの背比べに思えてしまうのである。どっちも同じに見えてしまうのだ。

 

 

昔、聖闘士星矢という漫画があって、これが面白かった。いわゆる鎧モノという戦いモノのジャンルを作ったさきがけの漫画である。この漫画の中に、「ブッダの手の平」という表現がよく使われていた。主人公の星矢たちが、頑張って戦っているのだけれど、相手にとってみれば何でもない攻撃でしかない。ダメージは全然ない。それを「ブッダの手の平」で表現するのだ。星矢たちが散々攻撃した挙句、次の場面で描かれるのは、星矢たちがいる場所の下には、ブッダの手の平が描かれている。自分たちよりももっと大きな存在であるブッダにとってみれば、手のひらの上で騒がれているようなもの、なのである。

 

あるいは、星矢の仲間の一輝が、逃げる。戦っている相手のシャカの攻撃から逃げる。「どこまでも逃げ切ってやる」という思いで逃げる。何千、何億、ついには無量大数というくらいまで逃げて、逃げ切ったと思った瞬間、次の場面で描かれているのは、一輝がブッダの手の平の上にいる場面である。どんなに逃げたと思っても、ブッダにとってみれば、手のひらの上で騒いでいたようなものなのだ。

 

 

その瞬間、どうなるか。必死に攻撃を繰り出していた星矢、死に物狂いで逃げていた一輝、どちらも冷めてしまうのである。「オレたちはこんなものなのか」と、勢いがなくなってしまうのである。相手に対しての高ぶった感情。それがなくなってしまうのだ。自分たちはどんぐりの背比べをしていたことに気づくのである。所詮は自分たちもちっぽけな存在なのだと、ちっぽけな存在と自分たちを同じに見てしまうのだ。

 

 

これが、似ている部分を見つけることの威力なのだ。どんなに勢いがあって攻撃していても。どんなに必死になって逃げていても、「所詮は同じ」という共通点を示されることによって、途端に勢いがなくなって冷めてしまうのである。

 

 

あおり運転が世間で話題になっている。だが確かに、運転していて頭にくる場面もあるだろう。急いでいるのにノロノロ走られたり、そんな時には、クラクションを鳴らしたり、急いでいるのを前を走っている車の運転手に分からせてやろうと距離を近づけてアピールしようとする気になるだろう。だから、どんなにあおり運転の運転手に対して憎く思ってはいても、どんな「あおり運転なんてとんでもない!」と憤ってみても、「自分もあおり運転をした時がある」「自分も前を走っている車に対して頭に来る」「自分も同じようなことをしたことがある」と思った瞬間に、相手に対する憎しみが失せてしまうのである。似ている部分を見つけるとか、共通点を見つけることの威力がこれである。一気に攻撃的な側面を削いでしまうのである。憤っている自分が、どんぐりの背比べをしていることに気づくのである。所詮はブッダの手のひらの上であることに気づくのである。攻撃的な思念を削いでしまうことも、思いやりの一側面ではないだろうか。相手に対する攻撃的な考えや、相手に対する厳しい態度の反対として思いやりがあるのであれば、攻撃を削ぐことは、まさに思いやりであろう。

 

 

このように、思いやりとは、似ている部分を探すことに行き着く。もしも普段からこの思いやりを育むことをトレーニングとしてしたいのであれば、とっておきのトレーニングがある。遊びながらトレーニングできるものだ。「似ている部分を探す」「どちらも●●だ」と聞いて、何か思い浮かべないだろうか。そう、「なぞかけ」である。「△△とかけて、□□ととく。その心は、どちらも●●でしょう」のなぞかけである。同じものを探す。共通点を探すことを、言葉遊びを通して学ぶのである。あるいは、日々の生活の中で、例え話を意識してはどうあろう。何かしら相手に説明する場面というのは、往往にしてあるだろう。その時に、例え話を使うのだ。いい塩梅での例え話を作ろうとすることは、二つの世界に橋をかけることのいい練習になるだおろう。うまく二つの正解の共通点を見つけなくてはならない。一見、異なるように見えるもの、未知のものと既知のものの間で、うまく共通するものや似ているものを見つけなくてはならない。

 

 

というわけで、思いやりを育む方法を紹介した。後半は、やや駆け足になってしまったかもしれない。思いやりという抽象的でモヤモヤした未知を育むには、似ている部分を探すという具体的な方法が有効である。その心は、どちらも同じものとして見る必要があるからなのだ。

その1へ)

その2へ)

その3へ)

その4へ)

 


 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]


 

プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。

 

非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。

 

頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 思いやりを育む方法とは(その5)

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP