貧乏ゆすり、柔道の抑え込み、それとガン検査の話。「死ぬこと以外かすり傷」はウソでやっぱり健康が大事

2020.10.08 (木)

僕に貧乏ゆすりのクセはないけれど、貧乏ゆすりをする人の気持ちはわかる。

 

 

高校の時に、テストの時間にいきなり僕の左前方の席の奴が「ガタガタ……」と机と椅子を体全体を使って揺らし始めたので驚いた。まるでトラックが道路を走っているようだと思った。あの時に「ああ、これが貧乏ゆすりというやつか」と思った。

 

 

マンガとかテレビなんかで聞いていて、あらかじめ「貧乏ゆすり」というワードを知ってはいた。けれど高校まで身近に貧乏ゆすりをする人はいなかった。なんとなく「恥ずかしいこと、だけどしたくなること」だという認識だった。

 

 

テストの最中に急に貧乏ゆすりした奴は、真後ろの席の奴から「おい」なんて言われて止められていたけれど、それを見て「これが貧乏ゆすりってやつか」と思うと同時に「なんだ、オレがしてるのと一緒じゃん」と思った。

 

 

貧乏ゆすりではないけれど、僕にも妙なクセがあって、体のどこかを動かしたくなるのだ。顔とか、手とか、足とか、首とか、じっとしていられない。多分、座禅ってできないと思う。静かにしなきゃならないときほど、じっとしていなければならないときほど、体のどこか一部を動かしたくなる。

 

 

だから、貧乏ゆすりをして止められていた彼の気持ちはわかる。おそらく、テストっていう緊張状態。それと皆んなが集中してクラス中がシーンとした状況。だったからこそ、体を揺らしたくなってしまったのだ。

 

 

目の前が真っ暗だと光が欲しくなる。いつまでも同じ光景が続くと、どこかに周囲とは違うワンポイントが欲しくなる。無地な色が広がっていると、風穴を開けたくなる。

 

 

それと同じように、アクションが無いとアクションが欲しくなる。だから、アクションができない状況というのは非常につらい。貧乏ゆすりをしたくなるのも同じで、アクションのない状況にどこか耐えられなくなるのだ。

 

 

昔、警察学校で柔道をしたときに、柔道の教官にいじめられたことがある。たしか「手ぇぬ抜いてんじゃねえ!」とか「隠れてんじゃねぇ!」とかそんな理由だったと思う。柔道の授業中に「お前こっち来い!」なんて呼ばれて、寝技でこてんぱんにされたのだ。

 

 

その先生は体重が100キロ近くだったと思う。歳は50歳までいっていたと思う。けれど顔がいかつくて、いかにも「若い時はブイブイいわしてました」って面構え。若い時に柔道をしていた年配者特有の、膝が悪いようなガニ股歩き。

 

 

それに対して僕は体重が65キロで柔道は未経験者。かなうはずがない。

 

 

案の定、畳の上で2人で向かい合っただけで、未来が読めた。マンガやアニメで、「負ける姿しか想像できない」のような表現を読んだことがあるけれど、まさにあんな感じ。頭の中で取っ組み合うシミュレーションはしてみる。が、どうシミュレーションしたって自分がやられる姿しか頭に描けない。

 

 

当たり前に襟と袖をつかんだところでどうしようもない。あんな太い腕でこっちの襟と袖を掴まれたら、こかされるに決まっている。ならば足をすくうか? あんな太い足をどうやって? 自分から下になるか? いや返せないで抑え込まれてしまう。逃げ回る? 「手ぇ抜いてしまってすいませんでした!」って誤って解放してもらう? そんなことをしたらドツボにハマってもっと相手を怒らせてしまう。

 

 

たしか結局、「来いこの野郎!」って言われて、教官が自分から下になって。僕がしかたなくその上から抑え込もうとしたけれどすぐに返されて……。

 

 

で、その時にはじめて寝技の恐ろしさを知った。それまで寝技がこんなに苦しいものだとは思わなかった。

 

 

聖闘士星矢には鳳凰幻魔拳なんて技があった。相手の神経を崩壊させる必殺技が空想の世界には存在するけれど、現実の世界では寝技が神経をも崩壊させる。上から抑え込まれると、下にいる人間は神経が崩壊してしまうのだ。

 

 

上半身を動かそうと思っても動かない。教官は見た目がいわゆるデブで、体に肉がたっぷりついている。その肉が、抑え込まれている自分の顔にまとわりつくように迫ってくる。プヨプヨしていて、押して体をどかそうと思ってもうまく押せない。いやそれ以上に重い。というか、下からうまく押せないように抑え込んでいる。肘の先だけでは100キロを持ち上げられるわけがない。

 

 

けれど下にいる人間は「重い!」なんてそんなことを言っていられず、息ができない。顔に腹を押し当てているのはワザとだろう。ワザといじめてるんだろう。ワザと息ができないようにしてるんだろう。柔道のみならず、教官としても白線錬磨だ。「柔道」という下地に、「警察学校で生徒をいじめる」という経験がプラスされたのだ。ワザとに決まっている。

 

 

僕は上に乗っかっている相手をどかしたくて、息を吸いたくて、上半身を起こしたくて、もがいて動くけれど、相手の体は全然動かない。働きかけても何の効果もない。結果、僕は発狂する。

 

 

多分、その時に道場にいた人には皆んな聞こえていたと思う。後で隣で練習していた女子にも「聞こえた」と言われた。「あ」に「゛」がついたような、声にならない声をあげて魂の叫びを上げる。

 

 

これは、貧乏ゆすりがしたいけれどできない状況と同じだ。それのハイパー版。苦しさはケタ違いだけれど、貧乏ゆすりをしたいけれど、させてもらえないのと同じ状況。アクションを起こしたいけれどできない状況。

 

 

想像できるだろうか。体を動かしたいけれど動かせないことの、神経が崩壊するほどの苦しさ。「息がしたい」というよりも、ただ「体を動かしたい」「上半身を起こしたい」それだけなのだ。そんな、それまで当たり前にしていたこと、普段何気なくしていたことが強制的にできなくなる。するとどうなるかというと、人間の神経は「自分は壊れるんじゃないか」と思うほどのストレスを被るのだ。

 

 

 

先日、病院にいった。「ガンの疑い」ということで、その部所の細胞を検査のために取る手術を受けたのだ。体内の細胞をとるためには、体に針を刺してとらなくてはならない。その針が「かなり痛い」とのことだったので、手術中は下半身に麻酔を打った。

 

 

「ガンかどうかの結果は三週間後」とのことなので、検査結果はまだわからない。けれど下半身の麻酔というのが、神経が崩壊するほどのストレスだった。動かしたいけれど動かない、という状況にされた。当たり前だ。麻酔を打たれている。背骨の辺りに注射されて、下半身の感覚がなくなってしまった。

 

 

医学的にどうかはわからないけれど、おそらく感覚には2つの種類があると思う。感じる感覚と働きかける感覚だ。「暑い」とか「固い」とか「何かある」のような周囲の状況を知ることを司る感覚と、「指で触れる」「手を振る」「足を動かす」のような体を動かすことを司る感覚だ。

 

 

麻酔でダメにされたのは、働きかける感覚の方。感じる感覚は生きていた。感じることはできるけれど、それに対して働きかけることができない。これがものすごいストレスだった。このストレスは、日常の中では意外とわかりにくい。今回、麻酔を打たれて僕もはじめてわかったけど、僕たちは普段、感じることと、それに対するアクションを絶えず行っているのだ。

 

 

スマホが目について、それを取ろうとする。手に毛が落ちてきたので、それを振り払う。人が通ったので、そっちを向く。僕たちの日常は、絶えず感じることと、それに対するアクションを終始おこなっている。

 

 

僕が打たれた麻酔は、アクションする方だけの感覚だけ遮断するものだった。感じることはできても、それに対して何のアクションもすることができない。「こんなものがストレスになるのか」と驚いた。

 

 

手術が終わって、病室のベッドに寝かされて。看護婦さんが体温を測ったり血圧を測ったりするのが終わって、急に静かになる。それで下半身に掛けられている布団の位置が気になって、足の上に触れている布団の肌触りが気になって。足を動かして、布団の位置を変えようとする。足をずらそうとする。足をほんの数センチだけ、骨を軸に回転させようとする。

 

 

が、それができない。感じるのに働きかけることができない。布団のズレを感じるのに、足を動かせない。アクションしようとするのにアクションができない。精神が崩壊しそうになる。発狂しそうになる。手を使って動かすことも解決にはならない。なぜなら足の神経を使って足を動かすことと、手を使って足の位置を変えることは違うからだ。これもこの時にはじめて知った。手を使って布団をずらしても、足を動かそうとして動かないことのストレスは残り、発狂しそうになることは止められない。

 

 

この体験をとおして、動かそうとするのに動かないことの、発狂しそうになるほどの精神的ストレスを味わった。これは、貧乏ゆすりのハイパー版であって、寝技で抑えこまれたときのようなものだ。しかも麻酔されていると、一縷(いちる)の望みも持てない。寝技で抑え込まれたときは、「教官さえどけてくれれば」という光が見えていたけれど、麻酔されるとそれすら見えない。「どうやっても動かないものは動かない」という現実が上からのしかかってくる。

 

 

というわけで、今回の経験を通して、通り一遍だけれど、「健康は大事だね」という教訓を得た。体を動かそうと思っても動かせないストレスとは、できればもう二度と味わいたくない。

 

 

よくSNSなんかで「短くても太い人生を」とか「死ぬこと以外かすり傷」なんて言葉を目にする。これらを格好いいと思っているのか、自分の座右の銘にしている人がいる。というかもしかしたら僕もこれまでそうだったのかもしれない。が、それがなんだか恥ずかしいことのように思えてきた。「神経が崩壊するほどの苦しさ、知らないんじゃないの?」と思ってしまう。

 

 

「短くても太い人生を」とか「死ぬこと以外かすり傷」なんていうと、「健康よりも生き様が大事」のようなニュアンスがある。本当に健康を害してまで生き様をとるの? とれるの? あの「動かしたいけれど動かせない」という発狂するほどのストレス。感受できる? と疑問に思う。

 

 

「動かしたいけど動かせない」のは非常につらい、という話。

 

 


 

 

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