オリバー・ツイストを読んで児童虐待をより身近に感じた話。むしろ虐待こそが人類史の普通なのかもしれない
「ボウルを洗う必要はなかった。またぴかぴかになるまで、少年たちがスプーンで磨き上げるからだ。」
—『オリヴァー・ツイスト(新潮文庫)』チャールズ・ディケンズ著
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「オリバー・ツイスト」は、主人公であるオリバー・ツイストという名の少年の、不幸な身上を描く物語である。
まだ序盤しか読んでいないけれど、あるいは序盤しか読んでいないからそう感じるのかもしれないけれど、小公女セーラのようなひたすら苦難にさいなまされるオリバーが描かれている。コラム冒頭の引用も、そんなオリバーの身上を実によく表している。
9歳のオリバーが過ごしているのはお父さんやお母さんなどの家族のいる温かい家庭ではなく、大勢のおなじような身上の子どもたちがいる救貧院だ。救貧院の管理者である大人(白チョッキの紳士)たちは、今の僕たちの価値観でいう清潔で人権のある環境を子どもたちに提供してはいない。
特にわかりやすいのは、「食べ物が少ない」ということだろう。「子どもたちがピカピカになるまで食器皿を舐め回すので、食事の後で皿を洗う必要がない」というのだ。もちろんこれは大げさな表現であり、実際はいくら皿を舐め回したところで皿を洗う必要がなくなるわけではない。
けれどこの表現から、いかに子どもたちが過酷な状況で暮らしていたのかがわかる。まるで警察学校のようだと僕なんかは想像している。集団生活といえば、教官から怒られて日々の一挙手一投足にビクビクしながら生活していたあの半年間を思い出す。もしもあの警察学校での生活を10歳にも満たない子どもたちがしているのだとしたら、これほど不憫なことはない。
教官にビクビクすることの他に、集団生活ではよくあることだが、ことあるごとに集団責任が降り掛かってくるので、生徒どうしがお互いに監視せざるを得なかった。1クラス約30人、一部屋約6人の中で、お互いがヘマをしないように、バカな考えを思いつかないように、失敗を隠さないように見張っていた。まるで全員が戦時中の憲兵。そんな過酷な警察学校を、オリバー・ツイストの救貧院のシーンを読んで思い出した。
そういえば児童虐待のニュースを昨日読んだ。茨城県のひたちなか市で、生後一ヶ月の長女を殺害した容疑で28歳の父親が逮捕されたらしい。泣き止まないことに腹を立て、木製のドアに叩きつけたり、寝ているところに拳を落としたりした。母親の方は、そんな夫の暴力を止められず、一部の知人にのみ相談していたという。
このニュースのコメント欄には、「人間とは思えない」とか「人間のやることじゃない」などと、父親の子どもに対する暴力が普通の人間とは乖離したものであるとして、この父親を非難するコメントが多く寄せられていた。
あらかじめ言っておくが、僕は児童虐待を決して肯定しないし、許せるものではないと強く思う。人権を信じているし、子どもという弱者が当然に有する権利も信じている。生きていれば楽しみや喜びを感受できたであろう人生において、幼くして苦しみや痛みの中で落ちていく命を思うと、「せめて自分の家に生まれてくれれば」とも思う。
けれどそれと同時に、子どもに対して「愛しい」とか「大事にしたい」と思う気持ちが、生まれながらに人間に満たされているのかというと、それも疑問だと思う。おそらく半分なのだ。「愛しい」とか「大事にしたい」という愛情だけでなく、「憎たらしい」とか「イライラする」という憎悪の気持ちも同時に持っているのだ。
「子どもの人権」と聞いて、現代に生きる僕たちは「そんなのは当然だ」と感じるだろう。まだ社会を生き抜く能力を持っておらず、大人に頼らなければ食べるものも手に入れられない子どもという存在を見て、僕たちは当たり前のように「手を差し伸べてやらねば」と思う。
けれど「子どもの人権」とは、決して人類史を通して普遍の概念ではない。子どもに対する権利、社会的弱者である子どもに対して「守ってやらねば」「手を差し伸べてやらねば」という感情を僕たちが育むようになったのは、人類史全体を見ると最近の話なのだ。
オリバー・ツイストを読むと、チャールズ・ディケンズが生きた19世紀、ここに「子どもの人権」などなかったことがわかる。
子どもの権利条約が国連で採択されたのは1989年のことで、20世紀が終わりになってからだ。「子どもの権利」がわざわざ国連で採択されたということは、それが人類普遍の権利ではないから。人類普遍ではないからこそ、わざわざ「子どもの権利」と具現化したのだ。
子どもに対する暴力が跋扈(ばっこ)し、多くの子どもが強者から搾取される状況が当たり前に続き、そんな子どもに対する暴力が是認されるのが人類の歴史だった。だからあえて「子どもに対する権利を守らなきゃ」という合意を結ぶ必要があったのだ。
つまり、「子どもを守らなきゃ」という子どもを愛おしむ心は決して人類の「当たり前」ではなく、むしろ新卒社会人のような日の浅い存在なのだ。人類はその殆どの歴史を、「子どもを守らなきゃ」という確固たる認識を持たずに過ごしてきた。むしろ自分たちが生きるために、自分たちがより幸せに生きるために、「弱者を搾取する」「子どもを都合のいいように扱う」ことを容認して生きてきた。
だからヤフーニュースのコメントにあるような、虐待に対して「人間とは思えない」とか「人間のやることじゃない」と思う気持ちの方が、人類の素直な気持ちとは隔絶した歪んだ気持ちといえる。子どもに対してイライラしたり、暴力を振るいたくなる気持ちの方がむしろ自然であって、それは誰の心の中にでもあるものなのだ。
僕は思うのだが、この子どもに対するイライラする素直な気持ちを「信じられない」とか「人間とは思えない」という風に、自分たちとはまるで別の生き物の感情であるかのように振る舞う態度が、子どもの虐待を生むのではないだろうか。
認めるべきなのだ。子どもに対してイライラしたり、暴力を振るいたくなる気持ちを。
是認するべきなのだ。子どもに対してイライラしたり、暴力を振るいたくなる気持ちをもった人間が社会にいて、自分もそんな人間の一人であることを。
子どもに対して虐待をはたらく人間を、まるで自分たちとは別の生き物のように「意味がわかんないとか「信じられない」と言っていたのでは、いつまでたってもそれが無くならない。まるでクラスのいじめを見て見ぬ振りをしているようだ。自分の中のどす黒くて残酷な、だけど素直な気持ちを見つめなければ、いつまでたってもその気持ちは野放しにされたままだ。存在を認めてはじめて「どうやって抑えようか」という抑制や対策への一歩となるのではないだろうか。
子どもの人権はけっして人類の普遍ではない。「オリバー・ツイスト」を読んでもわかるし、子どもの権利条約の歴史を見てもわかる。むしろ普遍ではないからこそ、子どもの権利条約は採択されたのだ。
僕たちはそんな、わざわざ採択された子どもの権利条約を「当たり前のものだ」と思ってはいけないのだ。子どもに対する慈しみの気持ちを「これがすべてだ」と思ってはいけないのだ。虐待する人間を自分とは別の生き物だと思ってはいけないのだ。
すべては自分ごとであり、自分にも起こりうることであり、現に自分の気持を世間体というフィルター無しに覗いてみれば、すぐそこに紛れもなくあるものなのだ。
そんな、子どもの権利なるものが確固とした根の張ったものではないからこそ、僕たちは子どもの権利を守っていかなければならない。目をそらせばすぐに怒りの中に霧散してしまうから、僕たちは子どもに対して慈しむ心を手放してはいけない。
チャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」を読んで、子どもの虐待ニュースに投稿されたコメントへの違和感について書いてみた。目を背けないで、自分ごととして考えなければならない。
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