子育ての理想は、そのプロセスにあった。ヘーゲルの弁証法を使って子どもの非行防止を考える
ヘーゲルの弁証法を使って、子育てについて考えてみます。
ヘーゲルはドイツの哲学者で、近代哲学の最高峰と呼ばれています。近代哲学を終わらせてしまったのがヘーゲルであって、ヘーゲル以降の哲学は、実存を考える段階へ移っていくことになります。では、ヘーゲルは何を考えたのでしょうか。ヘーゲル哲学の代名詞が、弁証法です。弁証法とは、物事をプロセスとしてとらえるところに肝があります。で、そのプロセスの中で決定的に必要な要素が、矛盾なのです。
世の中は矛盾で満ちています。古代中国では中国全土で戦争に明け暮れていた時代、武器商人が台頭しました。「これはどんな盾をも貫いてしまう矛だよ」「これはどんな矛をも防いでくれる盾だよ」そんな相反する事を平気で言う武器商人がいたのでしょう。そこで出てきた言葉が、矛盾です。「どんな盾をも貫く矛、どんな矛をも防ぐ盾。そんなの相反してるじゃん!」というわけです。
僕たちは日々食べていかなければ生きていきません。白米だって食べたいし、ラーメンだって食べたい。お金があればお寿司だって食べたいし、お腹いっぱい焼き肉だって食べたい。食後にケーキだって食べたいし、お酒だって飲みたい。
けれど、そんな風に飲み食いしていたのでは、カロリーオーバーになって太ってしまいます。体型維持をするためには飲み食いばかりしていられません。体型が崩れてしまっては、健康にも悪いし、見た目も変わるため、自分という人間を売って商売をしている人にとっては信用にも関わります。食べたい、けれど体型も維持したいのです。
毎日毎日、仕事に行くのは疲れます。朝早く起きて、満員電車に揺られて、嫌な人にも頭を下げて、プレゼンをするために死ぬほど頭をフル回転させて。できれば仕事なんてやりたくありません。そんなことよりも、自分の好きなことをして過ごしたいものです。ネットフリックスを見て、漫画喫茶に行って、好きな人と一緒に時間を過ごして。
ですが、「仕事なんてやりたくない」と駄々をこねているわけにもいきません。お金だってほしいし、お金がなければ生活できないし、家族を養うことも難しいでしょう。お金がなければ、好きな人と一緒にいることだって難しいし、すきな食べ物を食べることもできないし、ネットフリックスだって見ることが厳しくなります。仕事はやりたくない、けれど仕事をしなければならないのです。
子どももそうです。子育てなんて、矛盾の連続です。どの子育て本を見ても、最近は主体性とか、自身とか、自己肯定感などと言われています。それらを身につけるための基本的な考えは、子どもの自由にあります。子ども自由に決めさせ、子どもが自由に決めた事を肯定することによって、自分に自身をつけさせ、自分の選択を工手することを覚えさせ、自分から進んでやることを経験していくのです。主体性、自己肯定感、自身は、しゃかいにでもてとりわけ必要な世の中だと言われています。学力をつけただけでは意味がなく、いくら学力という服飾品を身に着けていても、その人自身にやる気や活気がなかったら意味がないことが広くわかってきたからです。
けれど、子育てを子どもの自由にさせるなんて、限界がありますよね。子どもの自由にさせていたら、時間がいくらあっても足りません。時間は無情に流れていくし、昼はすぐに夜になります。休日はすぐに出勤日に移ります。財布や銀行からは、あっという間にお金が減っていきます。だいたい、子どものこと以外にもやりたいことはたくさんあるわけで、それっていうのは小さい子どもがいたらできないことばかりです。子どもの自由にさせたい、けれどそうも言っていられないのです。
だいたい、子どもの言いなりになっていたら、わがままし放題です。欲しい物を手に入れようとする欲は収まらないし、テレビやユーチューブはいつまでも見ています。教育が必要なのです。
ヘーゲルの弁証法は、この矛盾を統一して発展させていく、という考えです。「どっちがいい」とか「どっちを選択する」という二者択一ではなく、対立を克服して統一するプロセスを経て物事は発展していくのです。個人の自由と法律が統一されることで、共同体が発展するのです。
そう考えると、「子どもの自由か、それとも教育か」という矛盾で悩むのは、より高い子育てへの発展の過程で必要なプロセスと言えます。おそらく「どうやって自由と教育を統一させればいいのか」「自由と教育の発展とはどんな世界なのか」「先例はあるのか、あるとしたらどんなものなのか」というのは気になるでしょうが、これらは、矛盾を克服しようとして悩んだ末に自分自身で見つけ出すしかないことのように思えます。
矛盾を抱えることは悪いことではなく、より高い次元へ統一するには必要なことで、そんな矛盾を闘わせて悩むプロセスが、子育てと言えるのかもしれません。だから、もしも子育てで悩んでいるとしたら、楽観的に考えてはいかがでしょう。悩むのは、正しい道を歩んでいる証拠なのですから。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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