本当に階級がすべてなのか。警察ヒエラルキーの、外からは見えずらい本当のところ(その2)

2019.10.04 (金)

年齢

次に年齢である。これはどこの社会に行っても、人間である限り付きまとうのだろう。警察という「階級が絶だと思われている組織」ですら、相手と自分の距離感や上下関係を意識する上で、年齢を見ないことはない。警察に入るとき、警察学校に入ったとき、警察官になったとき。その時には確かに「階級社会だから」とか「階級がすべてだ」と言われて入ったものである。

 

 

が、そんな警察官になりたての若造ですら、「でも年齢は気にしなくちゃな」と思っているものである。「階級がすべてだ」と言われて警察社会に入っても、それでも何も言われずとも年齢のことは気にするものである。僕たち人間は、年上には自然と敬語になるし、年下には敬語を使われることを本能的に分かっている。

 

 

階級社会においても相手の年齢によって言葉遣いや態度を変えている自分を見たり、そんな周りの雰囲気を見ていると、年齢というものが人間社会の主たる部分を形作っていることに気づく。いくら「年齢は気にしない」とか「年齢なんて関係ない」と言っても、気にするのが人間なんだろう。

 

 

本当に気にしない人からは、話題にもならない。なぜなら眼中にないからだ。「年齢は気にしない」とか「年齢なんて関係ない」という言葉が出るということは、それだけ気にしているということであり、意識がいっているということなのである。

 

 

どれだけ「年齢は気にしない」とか「年齢なんて関係ない」とは言っても、年下からタメ語で命令されれば嫌な思いはするだろうし、自分よりも年上に向かって命令口調での指示は、なかなかできるものでもない。年齢は気にするものだし、気にするのが人間だし、気にしなければ人間どころか生物ですらない。

 

 

年齢というのは見た目の話だけではない。「見た目が弱々しいからいたわってあげよう」とか「若々しいから、命令しても動いてくれるだろう」という見てくれだけの問題ではなく、やはり年を重ねることで積まれてきたものというのはあるものなのだ。したたかさや、逃げ道を作っておくことや、微妙なバランス感覚、見えないコネ、などである。

 

 

警察の仕事をしていても、この年を重ねることで育まれたであろうバランス感覚を頼らざるを得ないことが出てくる。相手の階級が下であっても、年長者のバランス感覚や見えないコネを必要とすることが出てくるのだ。だから、やはり「年長者には頭を下げておこう」という感覚になるのだ。

 

 

拝命順

なかなか分かりづらいものかもしれないが、拝命順というのもヒエラルキーを形作る大きな要因の一つである。拝命というのは「警察官になる」というのであって、拝命日とは「警察官になった日」である。その拝命日から数えて、「自分は今、何日立っているか」ということである。

 

 

警察官一人一人には、5〜6ケタの職番(正式な名前は忘れた。職業番号? 職務番号?)というのが付されている。仕事をしていると、この職番が必要な時が時々あるわけで、そうすると、自然と「あの人は何年の拝命なんだ」というのがわかってくるのである。

 

 

基本的な感覚としては、この拝命順というのは年齢と一緒である。この世に生まれてからどのくらいの日数が経ったのか。日数が長ければ、それだけポテンシャルを秘めている、ということだろうし。日数が長いのにポテンシャルがなければ、「それってどうなの?」と思われてしまう。

 

 

でも年齢だけだと、その辺りのポテンシャルの現実的な部分を図りきることができない。というのも、それぞれ警察官になった日が違うからだ。現実的なところを言えば、年齢の中でも特に警察官になってからの日数が重要視されであろう。

 

 

この世に生まれてからどのくらいの日数が経っているのか、その中でも警察官になってからどのくらいの日数が経っているのか、を測るのが、この拝命順なのである。この拝命順、おそらく多くの人が、そっと確認しあっていることだろう。どこかで職番を見る機会や聞く機会があるのなら、そっと気になる相手の職番を横目で見ているのである。

 

 

拝命順は、お互いを値踏みする際の、スパイス的な役割である。というのも、このお互いがいつの拝命なのか、拝命してからどのくらいの日数が経っているのか。そのあたりが分かってくるのは、階級や年齢よりもずっと後だからだ。

 

 

後から効いてくるわけだ。階級がどれで、年齢はどのくらい。その上で拝命がいつでとわかって、「ああ、なるほどね。あいつはその拝命なのね。だからそのくらいのポジションにいるのね」となる。この拝命を聞くと、相手の人生観とかの裏の方にも、色々と想像がいく。

 

 

年齢が上の割に拝命順が若いと、「警察官になる前は何をやっていたのだろう」とか想像するし。単純に高校や大学を卒業して警察官になったわけではないのなら、「どうして前の仕事を辞めてまで警察官になったのだろう」という興味を引きつけてくれるものなのだ。

 

本当に階級がすべてなのか。警察ヒエラルキーの、外からは見えずらい本当のところ(その1)へ

 

 


 

 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

タイトルは、「人に優しくなれる発想法」。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 本当に階級がすべてなのか。警察ヒエラルキーの、外からは見えずらい本当のところ(その2)

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP