広い視野や深い考えを持つと、自分を主張できなくなるんだ〜14歳の君へ
思うに、自分の意見を言わないことが優しさなのではないだろうか。例えば、話し合いの場面を想像してほしい。話し合いでなくても、普段の何気ない会話をしている場面を想像してほしい。自分の意見を大声で主張して、相手の意見を吹っ飛ばす。そんな人はいないだろうか。そんな人には優しさは感じない。優しさとは、無理に自分の意見を主張しないことなのだ。
ただ、これは気が弱いのとは少し違う。結果的には気が弱いことと似たような状況になってしまうけれど、決して「優しい=気が弱い」ではないのだ。自分の意見を言わないとはどういうことか。大声で強く主張しないとはどういうことか。優しいとはどういうことか。それは、一歩上からの視点を持っている、ということだ。水平方向の視点しか持っていない周りの人がたくさんいる中で、その人らよりも一歩上から、全体を見渡すように眺める視点を持っている。だから、あえて自分を主張することの必要性を感じていないのだ。
自分が否定されるようなことがあっても、落ち着いて対処できる。「ああ、この人は見えていないんだな」「どうして、この人は自分と違う意見を持っているのだろう」「何がこの人にこういう考えをもたらすことになったのだろう」と、その人の意見には反対せず、その人がそのような意見を言うようになった背景を探ろうとする。
そうすると、そのような意見を言ってしまう相手をも「仕方のないものだ」と思えるようになるのだ。と言うのも、背景や前提が、自分と相手とでは違っているのだから、違う意見を言ってもいいことになる。背景や前提が違えば、違う結論に至ることも十分に可能性としてあり得るだろう。だから、違う意見を言っている相手をも否定することなく、「そのような意見を言うのだな」と、ある意味冷めた視点で見つめることができる。大声で相手を否定したり、「それは間違っている」と自分の意見を声高に主張することがなくなる。する必要がないのだ。
それは、自分も声高に主張した途端、自分が持っている一歩上からの視点がなくなることを分かっているからだ。一歩上からの視点を持っていると、分かるのだ。相手と同じ土俵に立った瞬間、自分の優位性がなくなる、と言うことを。自分が相手よりも深い考えを持っていて、優位な立場にいる。上から、より全体を見渡せる立ち位置にいる。ということを分かっている。けれど、その立場というのはもろいものなのだ。その広い視点というのは、油断すると、すぐに狭くなってしまうものなのだ。それを、分かっている。だから、決して相手と同じ土俵に立とうとはしない。相手と同じ土俵に立って、相手を罵倒し、相手の意見を否定し、自分の主張を声高に叫んだ途端、蜘蛛の糸が切れるように、自分の優位性がなくなってしまうことを分かっているのだ。
だから、決して相手を否定しない。相手の主張に対して「それは違う」とは言わないし、相手の人格を否定するように「おかしいんじゃないの?」とも言わない。自分との闘いなのだ。優しさとは。決して相手を打ち負かそうとはしない。そうしようとした途端、自分も周りが見えていない、自分が正しいと思っている意見を言っているだけ、という状況になってしまうのだ。
相手に厳しい人、怒りっぽい人、感情的になりやすい人、イライラしている人。そんな人は、すぐに相手の意見を否定してしまうだろう。すぐに相手の意見にかぶせて自分の意見を言って、相手を完膚なきまでに打ちのめそうとするだろう。
思いやりとは、相手の身になって考えるとは、人に優しいとは、そんな厳しさとか、起こりっぽさとか、感情的とか、イライラとは対極にあるものである。であるならば、優しさとは、人に対して自分の意見を主張しないことだろう。
人に対して意見を主張しないのは、気が弱いからではない。意見を言うことができないのだ。それは、自分とは違う意見を言っている相手の立場、自分とは違う人生を歩んできた相手の背景、自分とは別のものを背負っていると言う相手の前提。それを想像してしまうからだ。より広い視野を持っているから、相手を否定することができないのであり、それが結果的相手を尊重することに繋がっているのだ。
別に仏様のような、哀れみとか慈しみの心を持って、相手の意見を尊重するのではない。相手よりも広い視野、深い考え、一歩上からの視点を持ってしまうと、相手を否定することができなくなるのだ。だから、相手に意見をぶつけられない人は、そんな自分を誇りに思ってほしい。相手を否定できない自分にプライドを持ってほしい。強く、声高に自分の考えを主張できない自分を否定しないでほしい。相手の意見を否定できない、自分の意見をぶつけられない君は、素晴らしいものを持っている。
広い視野、一歩上からの視点、そして深い考えだ。それは、話し合いの場で、人生において、君を優位に立たせている。決して、そんな意見を言えない自分を否定して、自分以外の人間に対して否定的な相手と同じ土俵に立ってはいけない。優しさを持つと、相手に意見を言えなくなるんだ。けれど、それで構わないだろう。相手を否定する必要なんかないし、「相手を否定できない」ことが分かるはずだ。相手に意見を言えないことは、誇るべき優しさなのだ。
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