非行に走らない、子どもの素直な成長を望むのであれば、子どもと距離を置くべきだ

2019.10.06 (日)

子どもが好きであれば、ずっと一緒にいたいと思うだろう。子どもの全てを知っていたいと思うだろう。いつも一緒にいて、同じ目線で、同じものを食べて、同じものを見て、同じ経験をして。そんな夢を見るだろう。そんな、親子一緒の生活に憧れるだろう。けれど、そこに落とし穴があるのだ。子どもの健全な成長を妨げる要因は、親として子どもに対する愛情なのだ。

 

 

愛情があるが故に、近視眼的に子どもを見てしまうのだ。もし他人の子どもであれば、冷めた目で淡々と判断できるものが、自分の子どもであると、なかなかできない。ついつい口うるさく言ってしまうし、余計なお節介も出してしまう。子どもにとっては逆境を生きることが、体力をつける上では大事だと思っているのに、ついつい甘やかしてしまう。温室で植物を育てるように、暖かくて至れるつくせりの環境を用意しようとしてしまう。

 

 

モンスターペアレントと言われる親も、そこにあるのは「子どものため」という愛情なのだ。けれど、その愛情があるが故に、子どもにとってなんの為にもならない、ともすれば子どもにとっては不利益でしかないことをする。学校の先生をはじめ、子どもの近くにいる大人に対してモンスターのごとく高圧的な態度をとってしまうのだ。全ては自分の子どもに対する愛情がある故に。

 

 

好きだからといって近くで物事を見ようとしても、ごくごく一部分しか見えない。全体は決して見えない。全体を見ようとすれば、距離を置いて離れるしかないのだ。しかも、近くに寄っているときは、自分が近くに寄っていることにすら気づかない。自分が子どもに近寄りすぎていて、近視眼的になっていることの自覚がないのだ。だから、離れることができない。近くに寄っている自分に対して「近づきすぎですよ」とわざわざアドバイスをくれる人を敵だと思ってしまうのだ。

 

 

例えば、習い事。親にとって、子育てと子どもの習い事は、切っても切り離せないものだろう。親にとっては習い事をしてほしいし、できれば自分(親)にとって都合のいい習い事、自分(親)がいいと思うものを習ってほしいと思うはずだ。だから、無理に習い事を勧めてしまう、という現象が起こるのだ。頭では、「子どもがやりたいと思うものが一番だ」と分かっているし、もしも他人の子どもや他の家族に対するアドバイスであれば、「子どもが自らやろうとする習い事がいいですよ」とか「子どもがやりたくないのなら、無理に習い事をしなくてもいいですよ」と言えるだろう。けれど、自分の子どもだと言えないのだ。子ども自身の意思よりも、自分の選ぶものの方が、子どもの成功にとって近道だと短絡的に考えてしまうのだ。

 

 

おそらく、今の時代、子どもにとって大事なのは主体性だろう。自分から物事を進んでやろうとすること。それこそが、未来を作る上での原動力になるはずだ。今の時代、色々な情報が手に入るし、選択肢は無限にある。どれをやってもそれなりに効果は出る。そんな中で何をしたほうがいいのか、というと、それはやはり、子ども自身がやりたいものに限る。そうでないと、人より抜きん出る、という効果は望めないだろう。何をやってもそれなりに効果が出る時代だ。それなりに身につけることができるだろう。けれど、自分のものにするには、「やってよかった」と思えるようになるには、自分の武器にするには、そこに主体性がなければならないはずだ。

 

 

その主体性を身につけさせるにはどうすればいいのか。子ども自身が主体性を身につけるにはどうすればいいのか。それは、親が離れるべきなのだろう。「主体性を身につけなさい!」と言って、手取り足取り子どもに尽くしてやって、主体性は身につかないはずだ。主体性は、誰にも頼らずに子どもが自分自身でやるから、主体性なのだ。自分で「やりたい」と思ったものをやるから主体性というのだ。子ども自身が自分で「自分にはこれが必要だ」と必要性を感じ、それを身につけようとあがいて色々と試すから、主体性というものが身につくのだ。

 

 

それなのに、親がお膳立てをしてやって、選択肢を子どもの目の前に広げてやって、何が主体性だろうか。せっかく子どもたちが自分たちで切り開こうとしている未来に、親が介入してわざわざ主体性の芽を潰して、何が子どもの成長だろうか。何が子どもの未来だろうか。

 

 

子どもが大好きでいては、子どもと一緒に何もかも経験したいと思っていては、子どもと距離が近いままでは、子どもの成長は望めないし、子どもに主体性は身につかない。自分でするから主体性なのだ。自分で選ぶから主体性なのだ。自分で見つけるから主体性なのだ。

 

 

自分の子どもであれば、距離が近くなるのは自然なことだ。だから、意識して離れることが必要なのだ。わざと距離を置くくらいで丁度いいのだ。非行に走らず、子どもの素直な成長を望むのであれば、子どもとの間に距離を置くべきだ。一歩離れた位置から、視野を広く持って見守るものなのだ。

 


 

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