共働きは非行の温床か

2020.01.20 (月)

なるほど、僕も知りませんでした。

 

 

書かれたのが1984年。時代も大きく変わっているのでしょうね。1984年と言えば、僕がまだ小学生にもなっていない頃。経済がまだ右肩上がりで、明日の幸福を、将来の経済的余裕を、未来の今よりいい生活を、誰もが信じられる時代だったのではないかと思います。

 

 

面白いですね。触法少年の母親が、「専業主婦か共働きか」や「保育園か幼稚園か」よりも、「保育園は利用せず子どもがある程度大きくなってから共働きになった群の割合が突出して高い」なんて。データがそう言っているのであれば、そうなのでしょうね。元々母親が仕事をしている家庭と、母親が途中から仕事を始めた家庭では、子どもにかかる負担も違うのでしょう。

 

 

おそらくこの本のケースで言う「仕事」とは、「生活苦から逃れるために仕方なくするもの」というイメージがあるのかもしれません。できればやりたくはない、けれどお金がないからやらざるを得ない。もしもお金があるなら仕事などしたくない、ような。確かに子どもが小学生にもなれば、一人にすることの安心感は出てきますよね。学校で過ごし、一人で登下校するのだから、事故や事件に巻き込まれるようなことを避けることは学んでいくでしょうし。運動能力も上がるでしょうし。

 

 

そこで母親は考えるんでしょうね。もっと生活を楽にするために、働こうかと。

 

 

仕事というものが、仕方なく始めるもの、後ろ向きで始めるものなのであれば、もしかしたら、生活の歯車が来るって、母親の負担が大きくなって目の届かない場面も増えてきて、子どもに対する負担も大きくなって、あらぬ方向へ子どもの関心が移る、というケースもあるのかもしれません。

 

 

僕の肌感覚からすると、「本当にそうなのかな? すこし考えづらくないか?」とも思うのですが、そういうデータがあるのでしたら、そういう傾向もあるのでしょう。質問は、「『子どもが小学生になったら働く』という理想像は正しいのか」でしたね。

 

 

どっちでもいいんですよ。小学生になったら働かこうが、もっと早く小学生になる前から働こうが。ちょっと大きな問題になるかもしれませんが、「仕事」というものに対するスタンスを考えたいと思います。

 

 

「そんなものが仕事でいいのか」と思うんですよ。「仕事ってそんなものなの?」と。「お金が無いから働く」とか「やりたくないけど、仕方がないから仕事をする」みたいな。「仕事って、そんな後ろ向きなものなの?」と思うんです。仕事に対するスタンスの問題でしょう。確かに「仕方なく」とか「しょうがないけれど」という後ろ向きな気持ちで仕事を始めては、人生はあらぬ方向へ向かうのかもしれません。生活における「面倒くさいこと」「嫌なこと」という仕事の割合も大きくなりますし、それによって生活全体が健全とは言い難い方向へ向かうのかもしれません。

 

 

でも、仕事って、そんな後ろ向きなものではないと思うんですよ。「仕事」っていう言葉を使うと、どうしても「お金を稼いで生活を楽にするために、仕方なくやるもの」っていうイメージがあるんですけど、これは本来のイメージでは無いと思います。仕事、働くことっていうのは社会に対するアプローチであり、自己実現の手段だと思うんです。

 

 

誰でも「こうなりたい」っていうイメージがあると思うんですよ。「自分はこんな人生を歩みたい」とか「こんな生き方っていいな」っていう。そんな希望を実現するため手段が、仕事とか働くことっていうことだと思うんです。今の仕事に対する「お金を稼いで生活を楽にするために、仕方なくやるもの」っていうイメージは、間違っていると思うんです。

 

 

もっと前向きに仕事をしなければならない。希望をもって、楽しく、充実感を得られながら。ただ単純に、「お金を稼ぐ」場なのではなく、「こうなりたい」という自分を実現する場。それが仕事でなければならないと思うんです。

 

 

「形から入る人」っていいると思うんですよ。例えばランニングを始めようとする人が、まだ走ってもいないのに、いいシューズを買う、みたいな。本来であれば、実際に走ることから初めて、それから必要性を感じてシューズ買うっていうのが、流れだと思うんです。でも、形から入ることも、あながち悪いことではない。現実味のある具体的なことっていうのは感情にうったえるので、それによって行動力が促進されます。ただ「ランニングを始めよう」と思うよりも、手で触れるし目でも見られる具体的なシューズがあれば、ランニングを継続しやすいし前向きに取り組みやすいので、ランニングによる「痩せたい」とか「スタミナをつけたい」という効果を得られやすいはずです。

 

 

これをうまいこと利用するのが「目標」というやつでして、確かに目標を設定することは、「目標を追う」ことになりやすく、本来の意味とは離れてしまうんですけど、それでも行動は促されるんです。抽象的な本質よりも、具体的な目標の方が分かりやすく、行動が促されます。仕事でも家事でも、目標があると、お尻に火がつきます。「形からでも中身からでもどっちからはいってもいい」ということです。

 

 

今、社会で仕事は「お金を稼いで生活を楽にするために、仕方なくやるもの」になっています。それは現実なので、否定することができない。これを壊すにはどうするか。どうすれば仕事が「お金を稼いで生活を楽にするために、仕方なくやるもの」ではななくなるのか。それは、自己実現としての仕事を意識して、少しでも「自己実現の場」という本来の仕事に近づこうとすることだと思います。本来であれば、「自己実現の場」という実質が先にあるのがいいのでしょうけれど、現実はそうではない。けれど、中身が無くても、形から入ればいいだけです。表面的でも仕事に対して「自己実現の場」だという意識で入りましょう。そうすることで、一歩を踏み出しましょう。人一人がそうすることで、間違いなく、仕事は「お金を稼いで生活を楽にするために、仕方なくやるもの」から、自己実現の場に変化するはずです。社会の大きな変化のために、小さな一歩から始めるのです。

 

 

そうすれば、もっと前向きに仕事ができるようになります。後向きな姿勢ではなく、前向きな姿勢で仕事に打ち込むことがで着るようになります。いずれ、仕事が楽しいものであるのが当たり前になって、仕事と遊びの境い目なんてなくなっていきます。わかりやすく言えば、遊びが仕事になるんです。今僕たちの感覚で言う「遊び」が、仕事という生活のするための手段になるんです。どうです? ワクワクしませんか? 遊びでやっている、楽しくてやっていることが、生きる手段になる。どんどん遊びが加速されますね。それによって、生きる手段としての意味も加速されるでしょう。遊びを充実させることが、今で言う「一生懸命に仕事をする」ことになるんです。「一生懸命に仕事をする」っていうと、「疲れ切って心身ボロボロになりながら会社に尽くす」っていうイメージですが、変わるでしょう。「一生懸命に仕事をする」ことが、「一生懸命に楽しいことをする」「自分の興味に没頭する」ということになるんです。

 

 

そんな風に前向きに仕事をすれば、生活があらぬ方向へ向かうこともないでしょう。子どもが非行に走ることもないでしょう。子どもに悪い負担がかかることもなくなるでしょう。だって、親は楽しいことをしているんですから。ただただ、自分の興味に没頭することになるのですから。親に悪い負担はなくなります。逆に、「楽しいことをしている」といういい仕事をやりきった後のような、清々しいい充実感を得られるはずです。そうすれば親に笑顔も増えるでしょうし、親に笑顔がある家庭では、子どもにも笑顔が増えるでしょう。充実感のある生活を送っている親がいる家庭の子どもであれば、進むべき方向は見間違わないと思います。

 

 

 

「子どもが小学生になったら働く」という理想像は正しいのか。気持ちの問題、ということになります。後ろ向きな意味での仕事であれば、この理想像は間違いなのかもしれません。が、前向きに、充実感をもって、「自己実現の場」という意味での仕事なのであれば、「どっちでもいい」ということになります。いつから仕事を始めようが。

 

 

一番気持ちが充実している時に仕事をはじめたり、一番気持ちが充実するように仕事を始めればいいんです。この本ですよね。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

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