非行の経緯のあるお友達とのお付き合いについて

2020.01.19 (日)

いいんじゃないですか?

 

 

息子さんや娘さんが、非行の経緯があるお友達と付き合っていて、悪い影響を受けるかもしれない。あるいは、息子や娘に感じている悪さが、その非行の経緯のあるお友達からの悪影響かもしれない、ということで心配なんですよね。

 

 

答えは「関与すべきでない」です。「息子や娘を信用しなさい」であって、「息子や娘の意思を尊重すること」となります。どっちでもいいんですよ。付き合っている友達に、非行の経緯がある人間がいようがいまいが。それによって受ける悪影響なんて、微々たるものです。あるいは間接的な影響でしかないですよ。もしも、その友達から悪影響を受けているとして、そんな悪影響を受けるようになったもっと根本の理由っていうのは、その友達ではなく、もっと身近なところにあるはずです。

 

 

友達からの悪影響だと思っているのは、自分の都合のいいように「相手に責任を押し付けたい」気持ちである可能性があります。というか、そう思うべきでしょう。本当にあるかどうかもわからない、どの程度の影響を受けているかもわからない友達を相手取って「悪の根源」としたって、責任転嫁と言われてもしょうがありません。「そんな友達と付き合うようになった責任も自分だし、影響を受けるようになった責任も自分だ」くらいに思えれば、あえてその友達を悪く言おうとすること自体がナンセンスだと気づくはずです。

 

 

非行の経緯があるかもしれない友達からの悪影響を心配するよりも、そのことを心配しすぎて必要以上に関与しようとすることの方が、よっぽど心配だと思います。結局は、「人から言われたことでなく、自分自身で人生を切り開かねばならない」ということです。こんなことを言うと、「そうは言っても、親は子どものお膳立てをするべきだ」「子どもが活躍するための。その準備は親がしなければならない」という意見が聞こえてきそうですが、その考えがすでに、必要異常な関与なんです。

 

 

それっていうのは、スポーツクラブに子どもを車で送り迎えするようなものです。「痩せたい」「体力をつけたい」「身体能力を上げたい」なんて考えで、野球でもサッカーでもスポーツをし始めた自分の子どもを、わざわざ体を動かさない方法を使って送り迎えして、スポーツをする機会を、逆に削り取っているようなものだと思います。せっかく「運動をしたい」という思いでスポーツを初めたのだから、最初から最後まで運動をさせれば良いんです。送り迎えなどせずに、スポーツクラブまで走らせれば良いんです。なにも「お膳立て」とか「準備」という口実を使って、送り迎えをする必要なんてありません。

 

 

たとえその時はうまくいかなかったとしても、もっと長い目で見れば失敗したこと、成功したこと、喜べたこと、悔しく思ったこと。全てが血肉になるはずです。主体性を子どもに身に着けさせて、自立した、自分でハンドルを握る人生を歩ませたいのなら、任せるべきです。

 

 

子どもの頃から。交友関係までも。選別して与えていては、せっかくの自立心を養う機会を、わざわざ逃しているようなものです。「子どもの舌を肥えさせたい」と言いながら、親が先に味を確かめて、美味しい料理ばかりを子どもに与えるようなものだし。「子どもには強くなってほしい」と言いながら、その子どもよりも弱い存在を周りに配置することのようなものです。

 

 

将来、サバイバルで生き残れるのは、魚を与えられた人間ではなくて、魚のとり方を与えられた人間です。魚そのものを与えられても、持てる魚には限界があるし、いくら沢山の魚を持ったとしても食べ切れずに腐らせてしまうだけです。なので、与えるのは魚そのものではなく、魚のとり方なのです。必要なのは、魚という貯金ではなく、「必要さえあればいつでも魚をとれる」という柔軟性です。

 

 

子どもの交友関係にも、これらと同じことがいえます。子どもの自立を願うのは、親として普遍の心理だと思います。だったら、子どもの自立を願うのであれば、味見などせず、選別などせず、あらかじめ舞台を整えようなどとせず、初めから生の状態で提供しましょう。社会には、様々な人間がいます。良い人もいれば、悪い人もいます。善人もいれば、悪人もいます。そんな、多種多様。どんなにカテゴリーごとに分けようと思っても分けきることができないほど多様な人たちと付き合っていかなければならない世の中において、初めから悪いところだけを省いたものを与えれても、それまでいた省いてくれていた人がいなくなっては、その途端に途方に暮れることになります。真の意味でのサバイバル能力は身につかないでしょう。

 

 

やはり、どこまでいっても、気にすべきは自分自身なんです。敵は外側にいるのでなく、常に内側にいるのです。悪者が悪いのではなく、そんな悪者を作ろうとしている偏見、思い込み、先入観、バイアスが、本当の意味での悪者なのでしょう。意識次第、考え方次第で、世界の見え方は変わります。「ある」と思っていたものも、実は思い込みに過ぎず、「ない」のだと気づくことだって往々にしてあります。

 

 

「本当にそのお友達は悪いのだろうか」「悪影響はあるのだろうだろうか」と考えていくと、悪影響・諸悪の根源だと思っていた非行の経緯のあるお友達も、実は数あるお友達のうちの一人であって、「そこに良いか悪いかの境い目なんて初めからなかったんだ」と思えるようになります。「『付き合っている友達に非行の経緯があるかどうか』なんて、気にすることじゃない」と思えるようになります。

 

 

 

 


 

 

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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