子どもの主体性はなぜ必要なのか(その2)
ここまでは「主体性」の話でした。
なぜ人生に主体性が必要なのか、という話。今度は、なぜその主体性が子どもに必要なのか、という話です。これは基礎固めでもあります。子どもの頃から主体性を持って行動することで、主体性を持つことを当たり前の状態にするのです。リーダーシップを取ることを当たり前の状態を増やすのです。早い時期から、主体性を身に着けます。
というのは、主体性というのは、おそらく大部分の人は、先天性のものではありません。後天性のものです。後から身につけたものなんです。基本的に人付き合いというのは億劫ですから、それを最初から回避できるものではありません。最初から主体性を身に着けて生まれてくる子どもはいない、と思っていいでしょう。
だから、身に付けさせる必要があるのです。「子どもに主体性が必要」なのではなく、正確には「子どものうちから主体性を身に着けさせる機会を作る」というのが正しいでしょう。クラスのリーダーシップの話をしました。クラスで何か決め事をする際に、率先して意見を言えるタイプ。人前に出ても怖がらないタイプのクラスメートを見て、悔しい思いをしたことや、「羨ましい」と思ったことがある人がほとんどだと思います。で、当時思いを寄せていた女の子に対して「ああいうのが好きなんだろうな」と想像したことが、男の子にはあるでしょう。
おそらく皆がそんな経験を多かれ少なかれしているのであって、誰か一定の一人だけが、そんな悔しい思いをしていない、ということはありません。皆がそれぞれ、自分以外の他人を見て、リーダーシップの有る無しを感じます。だから主体性を身につける機会が必要なのです。機会を増やすことで、確実に身に着けられるものです。小さな機会から作っていきましょう。
人間ですから、どうしても「この歳で……」という思いはあるはずです。若さに適うものはありません。いつの年齢を切り取っても、若さというのは大きな武器なのです。小さいうちから、機会を作れるものは作っていきましょう。小さいうちから身につける事ができれば、それだけ適応範囲は広くなります。加速度的に広がる範囲は、早ければ早いだけ広くなることでしょう。
社会人で、組織というもので仕事をしたことがあるなら分かるはずです。誰も自分から発言しようとしない会議。他人の顔色を伺って、常に相手の出方次第という姿勢を崩さない仕事ぶり。そんな働き方を多くの人がしている結果が、今の日本です。リーダーシップ、自分から人生に対してアクションを起こそうという姿勢を、いい歳のオジサンになってもなかなか持てないでいる。その結果が、今の日本の社会なのです。
多くの人が「こんなはずじゃなかった」という人生を歩んでいるはずです。発言したいけど発言できない。動きたいけど他人が気になって動けない。そんな思いを、たくさんの社会人がしているのではないでしょうか。そんな発言できない、動けない人生を歩まないために、子どもの頃から主体性を養う機会を作ってあげる必要があるのです。
またこれは、他人のリーダーシップを尊重する精神を養うことでもあります。
よくいますよね。他人の足を引っ張るのが得意な人が。人がリーダーシップを取ろうとしている時に、率先して何かをやろうとしたりやったりしている時に、すぐに反対のエネルギーを生み出す、あるいは生み出そうとする人。ネガティブなことを言ったり、悪口を書いたり。リーダーシップを発揮している人に合わせて自分も動けばいいのに、なかなか動かなかったり。そんなことをなくすのです。
リーダーの周りにいるフォロワーは、ただ見ているわけにはいきません。リーダーシップを発揮している人がいるのに、フォロワーが動かなくては、リーダーシップをせっかく発揮している人のエネルギーをうまく活かすことができません。フォフロワーがリーダーのエネルギーを活かすには、フォロワーもリーダーの気持ちを汲み取れる事が必要になります。
「リーダーとはこういうものだ」「こんなことをされたら嫌だろうな」「こんなことをされれば楽だろうし、やりやすいだろうな」とか、そんな想像力が働くから、リーダーのリーダーシップに火がつくのです。より加速して、影響範囲が広がるのです。自分がリーダーになったときも力を貸してほしいと思ったら、自分がフォロワーの時はリーダーに協力するのが得策です。そんなリーダーの立場を想像することも、実際に主体性を発揮する機会をもって身につくものです。気がつくはずです。
というわけで、主体性について話してみました。主体性は、リーダーシップを発揮する時に必要です。人生という名の乗り物の、自分で舵を取る、自分でハンドルを握るのに、リーダーシップは必要なのです。自分ができる範囲を広げ、活動範囲をひろげ、自由に、囚われることなく謳歌するのに、他人を巻き込むことは避けられなく、そのためのリーダーシップです。
人生の初めの方で身につけたものは、そのまま、その人の当たり前となります。前提となります。基礎となります。主体性を基礎として持っている人と、持っていない人。どちらがよりリーダーシップを発揮できるかは、言うまでもありません。「子どもの主体性が必要」なのではなく、「子どものうちから、主体性を身につける機会を作ってあげることが必要」なのです。
イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。
電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。
タイトルは、「人に優しくなれる発想法」。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。
「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。
自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。
心よりお待ちしております。
[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]
30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。
モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。
下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。
[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]
ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。
[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]
関連する投稿
- 子育てとは「シュレディンガーの猫」のようなものである
- マイクラを活かすのは文章表現だ。自分の好きを人生に繋げる接着剤
- 「テニスの王子様」越前南次郎。優しさとは距離をとることだ。
- 育児を楽にするには距離を置くことであって、そのためには書くことだ
- 子どもに与えたい、多様化の時代に必要な能力とは
現在の記事: 子どもの主体性はなぜ必要なのか(その2)