子どもの主体性はなぜ必要なのか(その1)

2020.01.17 (金)

「子どもの主体性はなぜ必要なのか」

 

 

この問いに答えるには、ちょっと問いを変えなくてはなりません。「なぜ子どもに主体性は必要なのか」に変えたいと思います。同じことだと思うので、この「なぜ子どもに主体性は必要なのか」について答えたいと思います。2つに分けて答えます。「なぜ主体性は必要なのか」と、「それがなぜ子どもに必要なのか」です。

 

 

まずは、「なぜ主体性は必要なのか」についてです。

 

 

なぜ主体性が必要なのか。それは「その人が幸せになるため」であって、もう少し具体的にいうと、「自分で人生を操縦できるようになるため」です。世界が広がって、自分の思い通りになることが増えます。これが、人生に主体性が必要な理由です。

 

 

主体性とは、私はリーダーシップのことだと考えます。自分で考えて、自分で決めて、自分で行動して、自分で前に出て、自分で他人を巻き込んで、自分で責任をとること。生きていく上で他人との関わりは不可欠です。何かしようと思ったら他人との関わりを回避することが不可欠なのですが、この他人との関わりに億劫さを感じてしまい、動けなくなってしまうのです。で、自分に都合のいい言い訳をしてしまいます。「自分は一人が好きだから」と。

 

 

主体性を持つことのキモは、億劫である他人との関わりを積極的に受け入れることにあります。しかも、自分が中心にいて、自分に他人を巻き込むのです。自分が他人の前に出るのです。これは決して、自分が「偉くなる」ということではありません。別の機会には、他の人に巻き込まれることもあるでしょう。そういうフレキシブルな巻き込む、巻き込まれる関係をイメージして頂ければと思います。

 

 

ただ単に、他人に巻き込まれるだけの人生を想像してみてください。人前に立つ、人を巻き込むことを恐れて動けないでいる、いつでもいつまでも、どこでも、フォロワーのままでいる。そんな人生を想像してみてください。自分からアクションを起こさず、いつも受け身の生活。何をするか決めるのは、いつも自分でない他人。

 

 

子どものときも、クラスに大勢の前に立って率先してアクションを起こせるクラスメートがいましたよね。悔しいですが、あれがリーダーシップであり主体性です。職場でも、他人を巻き込んで大きな仕事を成し遂げてしまう人がいますよね。人一人ができることは限られています。

 

 

どんなに頑張っても一日24時間は変わりません。ですが、他人を巻き込むことで加速度的に人生は変わるんです。大勢が動いてくれれば、それだけ一日の24時間という時間が増えるんです。そのために必要なのが、リーダーシップです。リーダーシップを発揮するのにどうしても必要なのが、主体性です。

 

 

自分ひとりではできないような大きな企画、事業、仕事、目的。それを達成するために、自分で重い腰を上げ、エネルギーを使い、頭を回転させます。億劫でしかありません。ですがやるんです。「どうすれば」と考えて、「よし!」と決めて、大勢の前に立って、巻き込めるだけの魅力を発信して、巻き込みながらさばいて、そして最後に結果の責任からも逃げない。そんなことは、主体性がなせる技です。

 

 

これはよく、自動車の運転に例えられます。助手席に載っていたら、目的も決められないし、そこに向かう際の行程も運転手任せです。もちろん現実的には話し合って決める事ができますが、運転という決定権は運転手が握っています。人生という自動車のハンドルを握るのが、主体性です。自分で目的地を決め、そこに行くだけの行程も自分で決めます。

 

 

例えばサッカーをするのが好きな人も、サッカーを見るのが好きな人もいますが、両者には決定的な違いが一つだけあります。それは、サッカーが好きな人は、サッカーを見ることもできる、ということです。逆にサッカーを見ることが好きな人は、サッカーをできるとは限りません。今はたとえ話としてサッカーを持ち出しているので、「サッカーを見るのが好きな人がダメだ」と言っているわけではありません。

 

 

ですが、サッカーを見るだけの人生と、サッカーを見ることができるし、実際にすることもできる人生。自由なのはどちらでしょう。可能性があるのはどちらでしょう。解放感があるのはどちらでしょう。サッカーをすることもできる方なのは言うまでもありません。サッカーを見るのは一人でもできますが、サッカーをするとなったら、一人ではできないのではないでしょうか。その時に、主体性があって、自分で人生のハンドルを握ることができるなら、どうやったらサッカーをできるか、考えて動けるはずです。逆に、主体性がなければ、いつまでも指をくわえて見ているだけでしょう。

 

 

どうすれば幸福感のある人生をおくることができるか。それには自由が必要です。牢屋に入れられて手足を鎖で繋がれているよりも、いつでもどこにでも行ける状態の方が幸福感を感じられるはずです。というか、それは「幸福感」という言葉でさえ当てはまらないような普遍です。自由に自分で決められること。億劫であることに対して、重い腰をあげられること。基本的に面倒な他人を巻き込む、ということができること。それによって人生のできることが増えること。可能性が広がること。それが、主体性が必要な理由です。

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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