子育てなめてる親が多くないですか? 子育て失敗で引きこもりや非行になるのに
結局は、自分の人生を一生懸命に生きるしかない、ということです。
子どもの非行について、「親の責任だ」とする声がありますよね。まあ、それはそのとおりなんですけど、じゃあ「親がどう育ていればよかったのか」というと、完璧な正解を言える人は誰もいません。その家庭のことについて、正確に知っている他人はいないし、当の本人たち以上にその家庭を知っている人はいないからです。外から「あの家庭はこうだから……」とか「あの家庭はもっとこうすれば良かったのに……」と意見を言うことができますが、どれもこれも無責任な興味本位でしかありません。事件や事故の現場に集まってきて、他人の出来事に対して、責任を取れないのに意見具申する野次馬と同じです。
そもそも、どの親も「完璧な子育て」というものを知りません。そりゃあインターネットを見れば、色々な人が色々な「これが正解だ」を言っています。専門家を名乗る人もいれば、どこの誰なのか、素性も何も公にしていない人が意見を言っていることもあります。まさに玉石混交。石もあれば宝石もある状態です。もっとも、宝石の割合は極端に少ないのかもしれませんが。
そんな、何が正解かわからない。答えはたくさんあるけれど、どれがまともな答えなのかわからない状態で、僕たちはどんな風に生きていけば良いのかどんな風に子育てをしていけば良いのか。と言ったら、一生懸命になるしか無いんです。何に一生懸命になるのか。それは自分の人生に、です。子どもの人生に一生懸命になる、というよりは、「子どもも含めた自分の人生に一生懸命になる」というとことでしょう。
子どもの人生ではなく、自分の人生に一生懸命になる。それが、巡り巡って子どものためにもなる考えだと思います。それは、他人から見れば「なめている」とか「無責任だ」というように映るかもしれません。ですが、それっていうのは、おそらく当の本人、親である人が、一生懸命に考えた結果の生き方だと思うのです。
子どものことで悩まない親はいないでしょう。たとえ虐待するような親であっても、子どもの存在が大きいから虐待してしまうのです。自分が冷静でいられないほど、自分を押し殺さなくてはならないほど、子どもの存在が大きいから、子どもの割合が大きいから。だからエネルギーを取られるし、親の存在や親の人生を脅かすほどの存在に、子どもがなるのです。
どんな親でも一生懸命に考えて、生きて、それぞれの人生をまっとうしようとしている。どうすれば子どもが幸せになるのか。どうすれば社会が平和になるのか。どうすれば満足できる人生を歩めるのか。過去から学び、未来を考え、それから現在に落とすと、行き着くところは「今を一生懸命に生きる」ということになるのではないでしょうか。
確かに、過去には人類が歩んできた「これまで」があります。その中で、成功もすれば失敗もしてきました。過去を学べば、いろんな教訓が得られます。確かに、未来を予想することは大事です。僕たちは未来に向かって生きているので、将来を予想していきる事で、よりより選択ができます。
ですが、目の前にある現実は、結局は、過去でも未来でもない、「今」なのです。実際の問題が起きているのは、昔でもないし、将来でもないのです。これまでの人が直接に助言してくれるわけでもないし、これからの人が子どもの面倒を見てくれるわけでもありません。
目の前の事をしなければならないのは、今現実に生きている僕たちであって、当の本人たちなのです。未来と過去、確かに学べるし、予想もできる。でも確実なことは一切わからない。どれも確実でない、確実なことは一切ない。そんな、過去と未来とか切り離された今の中でできることは、今を一生懸命にいきることだけでしょう。今を一生懸命に生きた結果、未来がどうなるのかはわからない。むしろ、わからない中で無理に予想すれば、自分のバイアスが掛かる可能性がある。
僕たちは「親」という立場、「親」というレッテルを貼られた存在なので、子どもに対して影響力をもつ立場にあります。でもそれは、おそらく正しい影響力ではない。子どもを縛るだけの可能性が高い。「自分の人生は良かった」「自分はいい人生を送ってきた」と思いたいから、自分の存在を正当化したいという根本の欲求があるから、子どもにも「自分の様になれ」「自分と同じような人生を歩め」と押し付けたくなります。
この押し付けを阻止しようとすれば、それは離れるしかないでしょう。子どもが好きだから、子どもにも自分の人生を歩んでほしいから、子どものことを一生懸命に考えた結果だから、子どもから離れるのです。それは、覚悟でもあります。たとえ他人から「なめている」「無責任だ」と揶揄されようと、今を一生懸命に生きようとした証拠です。
子どもに対してできることなんてありませんよ。背中を見せることくらいです。親が目の前のことに一生懸命になれば、子どもも一生懸命になることの楽しさ、豊かさ、面白さに気づきやすくなるのではないでしょうか。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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