非行に走る家庭の特徴
それは、自分の目の前の子どもの事象を、学んだことに上手く繋げられないことである。どういうことか。おそらく今の時代、どの家庭でも、「どうすれば子どもを上手に子育てできるのか」という情報は得ているだろう。インターネットがくまなく敷かれ、どの家庭にもノートパソコンやタブレットが置いてある。スマートフォンになれば、ほとんどの大人が持っている。そんな現代において、「情報にアクセスできない」ことはないだろう。有料でなく、無料情報もあふれている。だれでも簡単に、多くの情報を得ることができるのである。
ほとんどの親が、必死になって子育て情報を集めている。向こうに「赤ちゃん向けの可愛らしい感じのサイトがある」と聞けばそのサイトを見て。こっちに「男の子向けの有力情報を集めている個人ブログがある」と聞けば、そのブログを覗いて。皆んなが皆んな、必死になって情報を集めている。その結果どうなっているか。何も変わっていないのではないだろうか。こんなにも子育てに関する、それどころか人生とか生き方に関する様々な情報が溢れているのに、なかなか社会は良くならない。情報の持ち腐れなのである。
これには理由があって、せっかく得た情報を、目の前の出来事に応用できていないのではないかと思っている。必死になってかき集めた子育てに関する有力情報を、自分の家の子どもに使えないでいるのである。繋がっておらず、断絶してしまっているのだ。
この断絶してしまっている状態を正すために、どうすればいいのか、である。どうすれば、外から得てきた情報と、自分の目の前の子どもとを繋げることができるのか、である。
たとえば、我々は何年もずっ義務教育を受けてきた。その結果、受けてきた義務教育を人生において大いに活用できているのかというと、そうでもない。使えないでいるのである。たとえば英語。何年も勉強しているにも関わらず、なかなか話せる様にならない。数学も、勉強している内容と日常生活では隔たりがあるように思える。私は哲学を学ぶのが好きなのだが、一般的に哲学も欧米知識人の間では必須とは聞くが、「使えないもの」というレッテルを張られている。
これは、ひとえに繋げられていないのだ。外から入ってきた情報と、自分の中にある物がうまく合致していないのである。食材を買い込んできても、家族に食べてもらうには、家族の口に合うように料理しなければならない。生肉を買ってきて、ピーマンを買ってきて、お米を買ってきて、そのまま食卓の上のドンと置いたのでは、せっかく買ってきた食材でさえ誰も食べてはくれないだろう。料理することが必要なのだ。外から買ってきたものを。身内に受け入れてもらうように。
というわけで、どうやって身内に受け入れてもらう方法である。外と内という2つの異なるものを繋げる方法である。それには抽象的に見ることが必要だろう。鍋の中で食材を煮込むように。買ってきたかぼちゃを煮込むと、ドロドロになる。買ってきた段階ではカチカチだったかぼちゃも、煮込むことで形が崩れ、周りと溶けるまでになる。チーズも形がある状態では周りと合わさることができないが、形がなくなれば周りと合わさることができる。
抽象的に見るとは、個々それぞれを具体的に見るのではなく、全部まとめて一緒と見ることなのである。これは、物事をフラットに見ることでもある。たとえば、職場で外部講師を呼んでセミナーを開くことはないだろうか。そんなときに、セミナーを受けた社員からよく聞く言葉が、「うちの業界は特殊だから、こんなセミナーを聞いても意味がない」である。この、特定の分野を特殊だと見ることが、抽象的な視点とは対極の視点である。この社員の場合は、自分の職の業界を特殊視してしまっているのだ。買ってきたかぼちゃが固くてスープの中に溶けないように、外部から呼んだ講師のセミナーも、自分の業界も具体的に見てしまっていて、お互いに溶けていないのだ。
頭の使い方次第、物事の見方次第なのだが、抽象的に見るには、同じと見るには、共通点を見つけるといいい。2つのものの共通点をみつけることで、2つの物が別べうのものではなく、ふたつとも同じカテゴリー内のものであると認識できるだろう。
たとえば、自分とは立場の違う人間がいたとして、「自分と同じ趣味を持っていた」「自分と同じ出身地だった」「自分と同じ分野に興味があった」などと言うことがわかれば、途端に親近感を覚えるだろう。共通点を見つけた途端に、離れているものが同じになるのである。
この共通点を見つけられるかどうか、似ている部分を探せるかどうかが、外部から得た知識や情報と、今自分が置かれている現実を繋げるきっかけになる。イヌとネコは別々の生き物ではあるが、どちらも結局は哺乳類なのである。寿司とうどんは別々の食べ物ではあるが、どちらも結局は日本食なのである。
あふれている情報を自分のリアルに応用するには、得た知識を自分の子育てに活かすには、抽象化することで繋がるのである。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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