本音を言えない社会環境とは

2016.09.01 (木)

リオ五輪でレスリングの吉田選手が決勝戦で負けた後、インタビューで「ごめんなさい」と言っていたことに対する新聞の記事を以前、読みました。うろ覚えですが

 

「負けた直後に’’ごめんなさい’’と謝ることに違和感を感じる。よく言えば模範的な回答。悪く言えば周囲を意識した建前の回答。日本の社会には本音を言えない風潮があり、それは五輪と言えども例外ではない。本音よりも模範を求める社会風潮には問題があり、なぜなら五輪舞台経験者の率直な気持ちを聞くという、貴重な経験ができなくなるからだ。」

 

と、このような内容だったと思います。

 

それから最近、とあるお医者さんがフェイスブックに「障害児を生んだ親は、自身の不摂生を一生かけて反省しなければならない。」などと投稿して、多くの批判を受け炎上しているそうです。

 

確かに、力や影響力がある個人や著名人の行動や発言には責任が求められます。模範的であることが求められます。それは、例えば警察で言えば「警察が権力を振りかざして暴走しないための監視」という意味もあります。五輪選手で言えば「見ている他の人に好影響を与えるという意味もあると思います。

 

しかし、本音、素直な意見が言えず、模範的な建前だけの社会になっては、かならずどこかでデメリットとしての歪みが生まれます。

 

大組織や著名な個人をしばる「◯◯たる者、◯◯でなくてはならない」という風潮。

聖人君子である事を求める社会の空気。

「◯◯がそんな事を言っちゃいかんだろう」という無責任な批判。

それらの風潮に答え、聖人君子であることを無理に取りつくろう組織。

 

これらが、本音を言えない社会を作っており、模範的な建前だけを求める風潮をつくっているのです。模範的な建前ばかりを言っていると、いずれは不祥事など、歪みが出ることにつながります。

 

本音を言うことに抵抗がない社会が求められます。

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