具体と抽象とは方角のようなものである
子どもの非行を防ぐには、具体にとらわれる事なく、抽象に目を向ける事です。具体ってのが何なのかというと、分かりやすいものとか、はっきりしているもの、です。で、抽象が何なのかっていうと、分かりにくいもの、とか、モヤモヤしているもの、です。主観と客観で分けた場合、主観は具体、客観は抽象となります。
で、私は具体に目を向けた方がいいと思っているんです。具体的なものばかりに囚われて、本当は何に目を向けなければならないのかってのが分からなくなっている犯罪者や非行少年をたくさん見てきました。
大事なのは、具体と抽象です。が、大した話ではないんです。何も肩肘を張って、じっくりと聞かなければならない話ではないんです。なんとなく聞いてもらえればいいです。なんとなく分かってもらえればいいんです。
右か左かの違いです。具体と抽象なんて。大きいか小さいか、北か南か、の違いでしかないんです。だけど、我々っていうのは具体にばかり目がいって、その対極に抽象ってのがあることを忘れてしまいがちです。
メリットに目がくらんでデメリットが見えなくなるようなものです。自分にとって都合がいい方に目がいくように、自分にとって分かりやすいものっていうのもまた、目がいきやすいものです。
だから、頭のどこかに置いておいて欲しいんです。具体の対極に抽象ってのがあるってことを。そして、私はそのなんとなくの認識こそが、あなたを救うんだと思っています。もしかしたら、人生がうまくいくかもしれない。見える世界が変わってくるかもしれない。視野が広がるかもしれない。子どもの非行の問題に対しても、新しい見方ができるようになるかもしれない。大事だと思えば大事。小さいと思えば小さいです。
しかもこの具体と抽象って考えは、非行にとどまらず、あらゆるところに使えます。具体と抽象っていう軸で考えると、違うものが見えてくるようなものです。右と左っていう概念がない人に右と左を教えてあげると、生活が一変すると思います。
北と南の違いが分からない人に、北と南っていう方角の概念を教えると、途端に生活やものの見方が変わるんだと思います。やや冷たい言い方になるんですけど、使えるか使えないかはあなた次第になります。が、もし今まで抽象っていうのを意識した事がないんであれば、ぜひ使って欲しいとは思います。
大きいや小さい、右と左。そんな世の中を見る際の軸の中に、具体と抽象っていうのを加えると、見えている世界が変わるんです。
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プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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