子どもの非行を防ぐ鉄則! 服装に口出ししない
学校へ行く子どもを見送る時、服装に関して口出ししてはいないだろうか。「今日は気温が◯度までしか上がらないから、ジャンパーを着ていったほうがいい」とか「今日は風が強いからこっちの服のほうがいい」とか。そんなことを子どもにつたえてはいないだろうか。
もしも子どもの非行を防ぐのであれば、服装に関して子どもに口出ししないことだ。私は、服装なんてのは、正直どうでもいいと思っている。もちろん、私はオラオラ系のような服装を嫌う人間だが、そうでなければどうでもいいと思っている。寒いから取ってジャンパーを着なかったからと言って、悪くても風邪を引くくらいだろう。暑い日に帽子を被らなかったといっって、悪くても「失敗したなあ」と思うくらいだろう。死んでしまうような自体は、考えられない。学校に着ていく服装を間違えたからといって、死んでしまうよう自体にはならないだろう。だったらそのくらい、子どもに決断させてやるべきだろう。大した重大な結果にはならないことがわかっているのだから、子どもがどんな決断をして、どんな服装をして学校にいったからといって、親にとってみれば痛くもかゆくもないはずだ。
非行を防ぐには、子ども自身が悩んで考えことが必要だ。サバイブするスキルが必要なのだ。親が何でもかんでも、いつでもどこでも付いているわけにもいかない。親が子どもに降りかかる全ての災難を取り払ってやることなどできない。最終的には、親は子どもよりも早く死んでしまうのである。それは生物学的な寿命があるのだからしょうがない。いつかはやって来るそんな時のために、子どもには自分で生きていくスキルが必要なのだ。そんなスキルを育むには、普段から自分で悩んで、決断して、で失敗して。と、そんな経験が必要なのである。悪と善の分かれ道が目の前にあった時に、そんな時に助けてくれる親の存在がないときに、悪の道をえらばないような、自分で悩んで決断する経験が必要なのだ。普段は、そのための練習だと考えよう。服装にまで口を挟むことは、そんな自分で悩んで決断する経験をつむことになる。せっかくのいい経験なのに。
だいたい口を出すとは、「他人の気持ちにまで思いが至っていない」という状態を意味する。おそらく「この服を着ていきたい」と思う子どもには、子どもなりの考えがあるのだろう。「どうせ着ないし」とか「格好悪いし」などの考えがあるのだろう。そんな考えを持っているにも関わらず、子どもの考えを無視して、「気温が……」とか「天気が……」という大人の価値観で物事を決めて押し付けて勧めるようでは、到底、相手の気持を考えていることにはならないだろう。
親が範を示さなければならない。親自身が、相手の身になって考えることを実践しなくてはならない。親自身が、自ら自己中でなく、「自分が考えている事以外にも色々と価値観がある」と知っていることを、子どもに示さなければならない。子どもの服装くらい、自分で決めさせてやるのだ。
だいたい、大人と子どもとでは、認識に差があるのだろう。それは、温度に関しても、である。よく大人は、その日の気温を気にして服装を決めているが、そんなのは子どもには関係ないのかもしれない。子どもには気温なんて、関係ないのかもしれない。大人にとってどんなに寒く感じられても、どんなに暑く感じられても、子どもはそんなベクトルで生きていないのだ。そんな基準で生活していないのだ。そんな価値観で服装など決めていないのだ。
それを分かってやるのが大人であり、親であり。そんな「相手の気持ちを想像すること」という範を示すのが、大人であり親なのだ。
失敗すればいいのだ。どんどん悩んで決断して、どんどん失敗して、その分を糧にしてもらうのだ。失敗した経験があればあるほど、失敗した経験が積もれば積もるほど、その子どもはその分だけ視野が広くなる。部屋の中に迷い込んだ鳥のようなもので、部屋の中に迷い込んだ鳥は、部屋の中の色々な壁に激突する。で、最後は窓から再び飛んで出ていく。どれだけ壁にぶつかったか(失敗したか)が、最後には部屋から出ていくための条件のようなものなのだ。壁にぶつからなければ部屋からは出られないのだ。
服装なんていう細かくて小さいことに口出ししていては、その他のものにも口出ししているのではないだろうか。子どもの非行を防ぐには、間違った子育てをしないことが必要だが、間違った教育が何であるかの尺度の一つは、子ども自身に決めさせているかどうかなのだ。子ども自身が悩んで、決断して、失敗しているかどうか、なのだ。
だから、もしも朝、子どもが天気に合わないような服装(親の価値観からすれば、間違えた服装)を着て学校に行こうとしているのならば、放っておいてやってほしい。子どもに決めさせるのが教育だろうし、子どもの判断基準を親の判断基準で縛るものではない。失敗させてやればいいのだ。
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