実際にプレーできる長島監督。権威もあるし、読んで面白くもある〜吾輩は猫である

2020.10.19 (月)

 

 

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」

 

 

そんな有名な書き出しではじまる、多くの日本人が知っている作品である。僕は小学校の教科書に「坊っちゃん」が載っていて読んで、社会人になってから「こころ」を読んで。それ以外、夏目漱石の作品は読んだことがなかった。「三四郎」はちょっとだけかじったことがある。「読んだ」と言えるほどではない。

 

 

「吾輩は猫である」はキャッチーなタイトルも手伝って、この国の誰もが知っている「小説」に違いない。僕も名前だけは知っていて、「読もう」「読もう」と思っていながらなかなか手を付けられなかった。今回ようやく読むことができた。

 

 

小学校で「坊っちゃん」を読んだときも思ったのだけれど、そんなに昔の話ではない。現代の僕たちが読んでも理解できるくらい最近に書かれた話、ということだ。

 

 

「夏目漱石」は文豪オブ文豪のような存在で、文章の世界では絶対視されている神様的存在。野球界でいう長島監督みたいなもの。「さぞかし自分にはわからない、理解できないような高尚な文章を書くのだろう」なんてイメージを持つ。けれど実際に読んでみるとそれほど距離のある存在ではないことがわかる。

 

 

というのも、現代の僕が読んでも十分に面白さを理解できるのだ。

 

 

日本の文学界で同じように神として見られることの多い作品には、他に「源氏物語」がある。「源氏物語」は1000年以上も前に書かれたお話なので、さすがにこれは、現代語訳がなければ読めたものではない。現代語訳がついてようやく取っ掛かりが得られる。

 

 

けど夏目漱石の作品は、文学界でまるで、発言に対して否定できない上司のように絶対視される割に、意外と内容を理解できなくはない。長島監督が現在も実際に動けるようなものだ。

 

 

長島監督が言っていることには誰も反論できない。誰もが長島監督をヨイショしていて、その言葉を皆んなが「へへー」と言わんばかりに受け止めている。けれど長島監督自身は、実際にプレーすることができない。体を動かして示すことができない。それはそれで仕方のないことなのだけれど、実際に自分が動けない分、説得力に欠ける感はある。

 

 

「吾輩は猫である」は、誰もが知っている超有名作品であるにもかかわらず、読んでいて面白くもある。長島監督が超有名であることに加え、実際に動いてプレーすることができるようなもの。権威があって、しかも実技もできる。

 

 

夏目漱石の作品も権威があって、しかも実際に面白い。

 

 

ユーモアが今読んでも面白いのだ。

 

 

「吾輩は猫である」は、猫である「吾輩」が人間界を一段高いところから見て風刺する作品。「吾輩」の主人である苦沙弥先生や、その家に出入りする友人の迷亭が、本人らがいたって真面目に生活している様子をバカにした口調で語るもの。

 

 

語り部である「吾輩」は遠回しに人間界のことを批判しているわけだけれど、所詮は「吾輩」も人間ではなく猫なので、読んでいて「吾輩」に対する嫌味さはない。普通、誰かを批判している人間は、他人を批判することで自分も批判されることになる。けど「吾輩は猫である」の場合、批判する側である「吾輩」も結局は猫。その猫の語る風刺を読んでいると、「人間は猫にすらバカにされる存在なのか」「自分たち人間ってとことんバカなことをやっているな」と余計に自分たち人間の世界が滑稽に思えてくる。

 

 

書き手である夏目漱石は、そんな滑稽な雰囲気をこの作品に載せたかったのだろう。夏目漱石が評価される理由も、そんな嫌味のない滑稽な作風にあるのだろう。でもってそれは、現代の僕たちが読んでも十分に通用する滑稽さだ。

 

 

「吾輩は猫である」は、夏目漱石作品として文学界で最高峰の地位にあると認められれているけれど、実際にその面白さを体感することができる。実際にプレーできる長島監督のような存在なのだ。

 

 

物語は「吾輩」の視点で進むと同時に、その視点の先にいるのは主に、吾輩の飼い主である苦沙弥先生だ。苦沙弥先生は、学校の先生として描かれている。融通の効かない性格のようで、自分では動こうとせず、いつも家の奥で座している一家の主。まるで田舎にいた頭のかたいおじいちゃんのようだ。

 

 

頭が固いんだけれど、その様子を猫の視点でユーモラスに表現されている。物語を読んでいくと、実はこの苦沙弥先生は「著者である夏目漱石自身なのではないか」と思えてくる。鼻髭をはやした外見で柔軟性に欠ける性格が、額に右手を当てて体を斜めに預けている夏目漱石の写真を連想させる。

 

 

実際にウィキペディアで調べてみると、「夏目漱石自身がモデルとされる」とある。「なるほど、やはりそうか」と思うと同時に、そんな結論に行き着くこと自体、夏目漱石の構想の中のことなのではないかと思える。

 

 

手のひらで転がした玉が戻るように、読者に「これはオレ自身なんだよ」とわかるようにワザと苦沙弥先生を描いたのではないか。夏目漱石はそこまで狙って書いたのではないかと、読んでいて思えてくる。権威と言われながらも、作者の意図が十分に読み手に伝わる小説なのだ。

 

 


 

 

仕事依頼、絶賛受付中です。

 

犯罪、非行、警察関係、子育てなどに関しての記事執筆。人前で話すのも得意なので、講演依頼などもお待ちしています。下記お問い合わせフォームまたはメールにて承ります。

 


 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。

 

感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 「イライラしてはいけない」と頑張っている方々に向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」の小冊子になります。

「こうすれば思いやりを育めるよ」「思いやりって、つまりはこんなことだよ」というのを載せました。

思いやりとは、スナイパー(狙撃手)のようなものである。35,222文字。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

 


 

 

30分の無料相談を承っております。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 実際にプレーできる長島監督。権威もあるし、読んで面白くもある〜吾輩は猫である

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP