子どもの非行を防ぐのに、いい加減であるべき理由

2019.10.31 (木)

子ども非行を防ぐには、いい加減であるべきだ。いい加減とは、テキトーという意味だ。何事も厳密に計算せず、大雑把であることだ。なぜか、寛容さが必要だからだ。自分の思い通りにならないことを受け入れる器の広さである。

 

 

たとえば鳥を飼っているとする。鳩を数羽、鳩小屋に飼っているとする。さて、この鳩小屋に閉じ込めて鳩を飼うのは、鳩にとっては幸せであろうか。たしかに自分たちからすれば、鳩を身近に置いておくことができるのだ。鳩を鳩小屋に閉じ込めておくメリットはあるだろう。だが、鳩からすればどうか。狭い鳩小屋の中で、毎日毎日同じことの繰り返し。同じ仲間、同じ食事、同じ風景。これでは鳩もたまったものではない。実際に鳩は何も思わないかもしれないが、毎日同じことの繰り返しでは、その鳩のためにもならないだろう。

 

 

だから、思いきって鳩を放してしまうことが必要なのだ。鳩小屋の出入り口を開け放ち、鳩をバタバタバタ!っと大空に放ってやるのがいいのだ。それで初めて、鳩はそれまでいた環境の酷さを知ることができるだろう。自分がいかに狭い環境で育てられていたかがわかるだろう。自分の環境を、自分の立場を、客観的にながめることができるようになるのである。

 

 

鳩を空に放ってやることは怖い。もしかしたら戻ってこないかもしれない、という不安がつきまとうだろう。だがそこで、躊躇してはいけないのだ。そこは勇気を持たねばならないところだ。鳩を大事に思うからこそ、鳩を放つのである。そこあるのは、ある種いい加減な気持ちである。「どうなってもいいや」という、テキトーな気持ちである。

 

 

だが、はたしてこのいい加減な気持ち、テキトーな気持ちは悪いことであろうか。というのも、管理化に置いていても、鳩がどうなるかはわからないのだ。鳩小屋に病原菌が入り込むかもしれない。地震や津波や家事があるかもしれない。その他の地震や天災があるかもしれない。どうなるかは、わからないのだ。確実でないことをしなくてはならないため、我々ははじめからいい加減でテキトーなことをしてるのだ。なのに、どうして鳩を大空に放つときにだけ、罪悪感を感じる必要があるだろう。どうせはじめからいい加減で、テキトーなことをしているのだ。未来はだれにもわからないのだから。なにもそのときにだけ悩む必要はないのである。

 

 

だが、このいい加減さ、テキトーさが、いずれ我々を救うものだと考えている。このいい加減だったりテキトーだったりする気持ちは、やることだらけで余裕がない時間よりもよほどいい。忙しいときと暇なとき。どっちが良いのかは、わかるすべがないだろう。それと同じである。やることだらけで余裕が直時と、何事もいい加減にやって余裕があるとき。特に子育てという変数が多い分野は「これをしたからこうなる」という確実なことがほとんどない。真面目に子育てをしているときと、いい加減に子育てをしているとき、どっちがいいかは、誰にもわからないはずだ。真面目にやっていても良い結果が転がり込むかもしれないし、いい加減にやっていても良い結果が逃げていくときもある。結果は誰にもわからない。

 

 

けれど一つだけ結果がわかるとしたら、それは、イライラという不寛容さは、犯罪や非行をまねく、ということだ。真面目でもいい加減でも、性格はどちらでもいいのだが、真面目なことで転がり込むイライラという不寛容さは、社会悪を生み出すのだ。いい加減が良いとは、「寛容的になりましょう」ということなのだ。「どっちでもいいじゃないか」という頭の柔らかさが、子育てには必要なのだ。メリットどデメリットは共存するのである。どんなにデメリットばかりが広がっている様に見えても、見る方向を変えればメリットが広がっているだけである。どんなにメリットばかりに見えても、見方一つでデメリットである。この「そんなことわかっているよ」というような当たり前のことを実践できるかどうか、である。

 

 

どんなに成功しているように見える人でも、その分も失敗や不幸もせおいこんでいるものである。うまくいっているときしか顔をあげず、うまくいっていないときは、人は沈黙しているものなので、自分の周りには上手くいっている人しかいないように思えるがそうではない。顔の広い有名人だって、顔が売れている分、隠れられない人生をおくっているのだ。お金持ちだって、いつ狙われるかもしれない不安を持って生活しているものなのだ。頭のいい人ほど、自分は何も知らないことを知っているものなのだ。

 

 

必要以上に不安がらず、いい加減であること、テキトーであることに足を踏み出すべきなのだ。世の中は見方一つなのだ。物事をどう見るか、なのだ。臆病は慎重だし、文句を言うのは素直だし、忘れっぽいのは行動派なだけだ。一見、デメリットに見える事を、どうすればメリットに見えるのか。その癖をつけよう。

 

 

いい加減で、テキトーであること。それは見方・言い方を変えれば寛容的であり、それこそが子どもの非行防止に必要なことなのだ。

 


 

 

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