いじめられた経験がある子どもは、いじめた経験もある理由
いじめられた記憶もありますが、いじめた記憶もあります。
記憶にあるのは、まず小学校3年くらいのときです。小学校に転校してきた男の子をいじめた記憶があります。休み時間、仲間はずれにして、石を投げてぶつけてしまいました。投げた瞬間に「やべ当たっちゃう。」と思ってあせりました。「頭にでも当たったら大けがだ。」と思ったら、飛んで行った石は腹あたりに当たって、その男の子はうずくまってしまいました。
その男の子と一緒に遊んだ記憶もあるけれど、どうしていじめる事になってしまったのか思い出せません。個人的な「いじめよう」という意思はなく、他の仲間につられていじめてしまったんだと思います。
それから中学校1年のとき。他の小学校からの男子生徒で、中学校で初めて会った男子生徒をいじめていました。その小学校出身の生徒らが、その生徒を小馬鹿にする態度だったので、自分も小馬鹿にしてからかっていたのです。
このときは複雑な気持ちでした。小学校のときに既にいじめられる経験もしていたので、いじめられる辛さはわかっていたはずでした。だから「こんな事言われたらつらいだろうな。」なんて思いながら小馬鹿にしていました。人としての優しさよりも、優越感の方が勝ったのです。
小学校のときは、「こんな事されたら嫌だろうな。」なんていう相手を思いやる気持ちはまったくありませんでした。ただ快楽に身を任せていたのです。言いたいことを言って相手を痛めつけて、苦しむ相手を見て優越感を持っていました。
いつだったか、「いじめられた経験のある子どもの多くは、いじめた経験もある」という調査結果が得られたとニュースで聞いたことがあります。
そのとおりです。いじめられた経験は確かに相手を思いやる気持ちを育みます。だけど、いじめられた経験がある人はその後、いじめをしないかと言われるとそうではありません。それでも人を小馬鹿にしたり、人が小馬鹿にされて苦しむ姿を見ることに優越感を感じてしまうのです。その優越感が、同情や思いやりや優しさを超えてしまうと、いじめる側に回ってしまいます。
いじめられた経験といじめた経験を持つというのは、優しさと優越感のせめぎ合いの結果、起こるのです。
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