警察官になれば少年犯罪は減らせるのか

2020.04.06 (月)

警察官になったところで、少年犯罪は減らせない。

 

 

というか自分の仕事の成果として、犯罪を減らしているという感覚は得られない。

 

 

これは警察官になる前の理想と、警察官になってからの現実の違いでもあるのだが、確かに警察官になるまでは、「警察官になって自分で犯罪を減らす。自分が仕事をすることで犯罪を解決する」という意気込みが僕にもあった。

 

 

警察官になる前にドラマなんかを見て、警察官個人の具体的な仕事と、社会の治安という抽象的なものが繋がっているのを想像した人も多いだろう。自分が犯罪捜査をすれば犯罪が解決に向かうし、交通切符を切れば交通状況が改善されるという理想を思い描いた人もいるかもしれない。

 

 

だが、現実はそう簡単なものではない。

 

 

就活の鉄板として、「会社に入ってみると想像と違っていた」というのがある。

 

 

組織を外から見るのと中から見るのでは勝手が違うのだ。その組織の末端として向こう側になると、外からでは触れられないものに触れることになるし、見られないものを見られることになる。中に入ってはじめて触れられて見られるものの影響力が強いので、「会社に入ってみると想像と違っていた」現象が起きてしまうのだ。

 

 

警察も例外ではない。僕が警察官になって感じた一番の違いは、「どんなに上に行っても、しょせんは末端の仕事しかできない」ということだ。

 

 

ドラマなんかで警察ものを見ると、個人の力が捜査に与える影響力が描かれている。たとえば、ドラマの主人公が機転を利かせて行ったことが、犯人特定の重要なきっかけになったり。主人公のワンマンプレーが、始めは周りから酷評されていても、結果的に事件を解決することになって評価を得たり。

 

 

この「仕事をすれば事件が解決する」とか、「頑張れば結果に繋がる」とか。そんなことが、実際の警察の仕事の中では感じられないのだ。事件はいつの間にか解決につながるし、解決しないものもたくさんあってそんなものはウヤムヤになるし、部署の弊害でやろうとしてもできないことがたくさんあるし。

 

 

自分一人の力が捜査に与える影響力を感じられないのが、ドラマとの一番の違いだと僕は思う。個人が頑張ったところで治安は変わらないし、自分が機転を利かせても状況は変わらないし、やろうとしたことがすぐにできるわけではないのだ。

 

 

この、自分という一人の人間の具体的な仕事、それに対する組織や治安という抽象的なもの。この繋がりが直ではないのが、現実だ。

 

 

こんな風に書くと、「それはお前が組織の末端だからだ」とか「階級を上げて影響力を高めればいいんじゃ?」なんて声が聞こえてきそうだ。ただ、ここに多くの人が陥る落とし穴があると僕は思っている。ことは階級を上げれば済むとか、影響力を高めれば済むとか、もっと仕事ができるようになれば、というものではない。

 

 

僕が感じる「自分の仕事と、それに対する組織や社会への影響の無さ」は、階級を上げたところで変わるものではない。たとえ階級をあげて組織内での影響力を高めたとしても、社会への影響力を直に感じるまではいかないだろう。

 

 

個人力を廃するような虚無感、個性を出せない中で働いているという空しさは、警察のどこのフェーズにいる人間にも襲いかかるものだ。もしも警察官の中に「オレは階級を上げて、思い通りにできることが増えた」なんて言う人間がいたら、それは視野が狭いか鈍感なだけだ。

 

 

「巡査→巡査部長→警部補→警部→警視→警視正」というステップの中で確かに階段を上っているような感覚は一部あるのかもしれないが、おそらく警視正になったところで「自分が組織の中のごく一部でしか無い」感覚は拭えないだろう。個人の頑張りと組織や社会の繋がりの無さは無くならないだろう。

 

 

それは、組織というのは階段ではなく、実は無限ループだからである。階級の頂点、警視総監になったところで、上が無くなるわけではない。警視総監の上にあるのは、一般市民である。

 

 

一般市民から警察官になって、巡査・巡査部長・警部補・警部と階級を上げていったところで、階級をいくら上げても終わりは見えないことに、徐々に気づいてくる。

 

 

「顔色をうかがう相手が限りない」とも言えるかもしれない。一般市民は警察の顔色をうかがうし、警察は階級が上の人間の階色をうかがう。じゃあ一番上の階級の人間は誰の顔色をうかがうのかというと、今度は一般市民である。上に向かって階段が伸びていくのではなく、その階段は実は一番下に繋がっているという無限ループなのだ。

 

 

日本の首相が国民の世論を無視できないのと同じなのだと思う。簡単に考えれば、日本の首相は一番大きい権力を持っていると考えられるが、ワガママに振る舞えるのかと言うとそうではない。うまく日本社会ができているせいか、それとも日本民族特有のムラ気質のせいか、首相だって自分の後ろ盾や、世論を気にしてしか動けないのだ。

 

 

それと同じで、警察官になったからといって、捜査においてワンマンプレーができるかというとそうではない。自分が頑張ることで治安の改善が感じられるのかというとそうではない。

 

 

警察官になる前となった後の一番のギャップは、この「上には上がいる」感、「自分ひとりの力なんて大したことない」感、「上ったと思ったら一番下にいる」感なのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

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