厳格な家庭の子どもは非行に走りやすいのですか
厳格な家庭で子どもが育つと、視野は狭くなるので、そういう意味では非行に走りやすいと思います。
「予想通りに不合理」のダン・アリエリー氏が言っていたのですが、人間が幸福を感じるのは「選択ができるとき」です。選択肢があること。何事も決められているのではなく、自分で決められる、自分で選べるってことが幸福感を増すんです。
ゲームをやる人ならわかるかもしれませんが、自由度が高くて選択肢が多ければ、それだけゲームは楽しくなります。閉鎖感がなくなって、それだけのめり込みやすくなります。のめり込むっていうのは、それだけ魅力があるってことですから、ひかれるだけの幸福があるということです。
親としては子どもに最短距離で幸せになって欲しいので、幸せになるために道具を何もかも用意してやりたくなりますが、用意してあげた時点で、それは幸せを提供するだけの価値がないものになってしまいます。たとえば子どもがバスケが好きだからと言って、「こうすれば確実に上手くなるんだから言うとおりにしろ」だと、その時点で選択肢がなくなります。バスケの成績は一番になるかもしれませんが、幅のない、人生において価値のない一番になるでしょう。
子ども自身で考えて、試行錯誤しながら積み上げるしかありません。そういう意味では、子どもとの距離をおくことが大切になります。子どもとの距離が近いと、子どもに何でもしてやりたくなりますから。突き放して、できるだけ影響を与えないようにすることで、子どもの自発性を促します。
厳格な家庭だと、自分の個性もわからなくなりますよね。親から与えられたものに反発するのはまだ正常な反応だとしても、親から与えられたものに反発しないで受け入れるようになってしまうと、子どもが決められたレールの上を走り始めたという意味だと思います。
子どもとしては自分で生きているつもりでも、それは個性が発揮されていない状態です。個性は他の人との違いですから、他の人の理解を得られない、特に親の理解を得られないのが個性だと思ったほうが良いです。親から見れば「何やってるんだよ」とか「また変なことやってる」と思われている状態が理想です。
親の理解を超えている時の方が価値観の差異が顕著ですから、親との距離が開くというのが、子どもとしても幸せを感じる時だと思います。
自分の責任のもとに自分で選んで自分で決める事を、ぜひとも子どもの頃からの習慣として身につけさせてやってほしいと思います。
ただし、自由であることには一つだけルールがありまして、それは「他人に迷惑をかけない限り」において、です。他人の自由を侵害する時点で、それは自由としての範囲を超えることになります。他人を侵害しないのであれば、どこまでも自由でいいのだと思います。
ミルの自由論から引用しますが、充実した人生のために自由が必要であることの根拠は4つあります。
1つ目は、人間は間違いを犯すものであること。たとえば他人に自分の考えを強制したところで、自分の考えが間違えている可能性があります。自分の考えが間違っているのであれば、その間違った考えを広めるなんて、どう考えても控えたほうが良いですよね。
2つ目は、「何が正しいのか」は曖昧だということ。野球とサッカーでどちらがいいのか。スポーツ万能と成績優秀でどちらがいいのか。右の道と左の道で進むべき道はどちらなのか。どちらか片方を「100パーセントこっち」なんて言えませんよね。世の中にあるものはハッキリと黒色と白色に分けられるのではなく、その間には限りないグレーがあるんです。人生の法律には「但し書き」がいくつもある、ということです。
3つ目は、あらゆる反対意見をふまえた上でない限り、自分の意見が本当に正しいかどうかがわからない、ということ。たとえ自分としての意見を持っていたとしても、それが本当に正しいかどうかを理解するには、反対意見を聞かなければならない。他人を納得させられるだけの根拠を持ててこそ、意見は自分のものになります。
4つ目は、自分の意見を磨くには、反対意見がなければならない、ということ。自分の意見は、他人の反対にあって、はじめて磨かれます。自分の意見に確信が持てるようになるには、反対意見が必要なのです。
ミルとしては、人が幸福になるにはアイデンティティの確立が必要であって、そのためには多様性が必要だという事を言いたかったのだと思います。
いろいろな意見があって、その中から一つを選んだり。自分としては正しいと思っている意見があって、けれど周りには他の意見があるので、周りを説得しようとしたり。そんな練磨の中で、「自分はこれが好き」がハッキリとより深く、見えてくるのです。
昔、ジャニーズグループのSMAPの曲で「ナンバーワンよりもオンリーワン」って歌詞の曲がありましたが、ナンバーワンっていうのも、数ある価値観のなかの一つでしかありません。ナンバーワンはわかりやすいので目立つのですが、価値は一番になることだけではありませんし、幸せは一番に近づくことだけではありません。
多様性の中で選択したり、自分を磨いたり。そんな一見遠回りとも思える方法が、厳格に何事も用意してくれる家庭では得にくいのです。
厳格さの中では多様性は育まれず、そういう意味では子どもは非行に走りやすくなると言えるでしょう。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」「それってどういうこと?」と聞かれた場合や、「どうやって持つことができるの?」と疑問に思ったときに、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。
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