翔太と猫のインサイトの夏休み

2019.06.18 (火)

 

「言葉を話す自称哲学者の猫であるインサイトと、中学生の翔太が哲学問答をしながら夏休みの何日かを過ごす」という内容です。

 

 

こういう哲学的な問いを考えていると、警察っていう職業はつくづく哲学と相性がいいですね。おそらくこういう哲学的な問いって、二つの大きな疑問に対する問答なんです。

 

 

二つの大きな疑問とは何か。一つ目に「自分とは何か」って疑問と、二つ目に「善とは何か」って疑問です。そのうち、「善とは何か」って疑問と警察官っていう職業は相性がいいんです。

 

 

というのも、ずっと考えることになります。「善とは何か」ってことと、あるいはその類の疑問と。

 

 

「善いことってどんなことか」「万人にとっての、人類普遍の善いことってのはあるのか」「自由とは何か」「なぜルールが必要なのか」「ルールっていうのは自由を規制するものなのか」「自由と自由がぶつかって対立したら、どうすればいいのか」「公平なルールをつくることは可能か」などなど。そんなことをずっと考えているんですよ、警察官って。まあ、少なくとも私は、でしたけれど。

 

 

なぜかって、この「善」のような社会の土台になるような問いと体を張って向かい合っているからです。抽象的な問題に対して、実際に体を張って向かい合っているからです。本質的な問いに対して、直接に向かい合っているからです。

 

 

警察官の仕事っていうのは、具体的なんです。非常に具体的。だって、目の前に違反者や犯罪者がいるのですから。法律というルールで規制しなければならない、ルールからすでに逸脱してしまった人間が目の前にいて、その人間に接することが仕事なのですから。で、そんな人間から疑問を呈されるわけです。

 

 

「携帯電話を手に持って運転すれば違反で、それなのにカーナビを見ながら運転しても違反にならないっておかしくない? 何が違うの?」

 

 

「なんで職務質問されるの? 俺が何かやったの? 何か悪いことをやったってんならわかるよ? けど俺は悪いことなんか何もやってないんだよ? 車の中にいただけだよ? それなのに名前を言えとか、住所を言えとか、持ち物を見せろか、おかしくない?」

 

 

「なんで俺が警察署に連れて行かれるんだよ? 納得いかないよ。だって悪いのは向こうだよ? 確かに俺も手を出したけど、先に文句を言ってきたのは向こうだよ? それなのに俺が一方的に悪いみたいな扱い方されるっておかしくない?」

 

 

「なんで駐車違反が目の前にあるのに警察は何もしないの? だって実際に俺は俺の駐車区画に勝手に他人から車を止められて迷惑してんじゃん。じゃあやったもん勝ちか? 逃げ得だね? だったら俺もやっちゃうよ? 駐車違反」

 

 

そんな感じの疑問を、毎回毎日、仕事相手から呈されるわけです。そんな疑問と、体を貼って向かい合っているわけです。体を貼っているというのは、文字通りの意味です。直接です。だって相手は暴れたりしながら、これらの疑問を呈するわけですから。こちからも体を貼って、暴れるのを抑えながら疑問に答えたりしなければならないんです。

 

 

こういう疑問って、出発点は具体的なんですけど、本質的な問いですよね。目の前にある喫緊の問題、実際に被害を被っている状態から始まっているわけですけど、行き着く先というか、それに応えるには本質的な部分、抽象の部分まで考えなければならないんです。

 

 

社会の根本の部分、土台をなしていること、実際には触ることができない概念的なものまで考えなければならないんです。そこが警察の面白いところですよね。目の前の具体的な問題から始まって、抽象的で本質的な問題を考える、みたいな。

 

 

「確かに携携帯電話を手に持って、それを見ながら運転することとカーナビを見ながら運転することって、やってることは対して違わないかも。なのに携帯電話だけが取り締まりされるってのはどうなんだろう」

 

 

「どうして職務質問されるのか。確かに自分だったら、車の中にいるだけで職務質問されたら嫌だよな。かといって職務質問に意味がないとは思わない。犯罪抑止の大切な一手になっている。抑止効果は間違いなくあるし」

 

 

「確かに、手を出したから暴行罪になって、先に因縁をつけても手を出さなかったら何にもならないって変だよな。不公平感がでる。けれど、日本の法律が性質上そうなっているわけだし。あるものの中でやって行かなきゃならないし」

 

 

「駐車違反ってのも確かに本人すれば切実な問題だよな。勝手に止まっているからって、他人の車を動かすってのは面倒だし、お金もかかるし、リスクもあるし。逃げ得かと言われると、そうだとしか言えないし。でもそれってしょうがない気もするし」

 

 

なんてな感じです。警察官という人間は、社会の根幹的な問題と、現実の体で持って向き合っているのです。

 

 

 

 

 


 

 

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」「それってどういうこと?」と聞かれた場合や、「どうやって持つことができるの?」と疑問に思ったときに、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。

 

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