非行の原因を科学する。なぜ「ダメ」と言われたことほどやりたくなるのか

2020.09.11 (金)

高速道路脇のたむろ

高速道路脇でたむろしている連中を見たことがある。確か2年ほど前、東関東自動車道を東京方面から千葉方面へ走っていたときで、場所は千葉県内の、ちょうど千葉市だったと思う。

 

 

高速道路脇に若者がいたのだ。車が100キロ前後でブンブン走行している道路脇のゼブラゾーンに車を止め、その付近で数名がアスファルト上に座って談笑をしていたのだ。たしか飲み物も飲んでいたので、暑い季節だったと思う。

 

 

おそらく彼ら自身も、「こんな高速道脇でたむろすることは危険なことだ」とわかっていたに違いない。自分たちのすぐ近くをスピードを出して走行する車の方をチラチラと見て、意識を向けていたからだ。それでいて彼らの表情には、「車がスピードを出して近くを走り抜けようと、自分たちには関係ねーよ」と言わんばかりの気持ちが見て取れた。

 

 

もちろん、こんな危険な場所でたむろする若者は稀である。たむろする若者は古今東西いるが、高速道路脇でのたむろは滅多にあるものではない。けれど僕はこの若者たちを見た時に、どこか非行という行為の核心部分を見ているような気がしたのだ。

 

 

どこにでもいる非行少年特有の表情、なのに高速道路脇という滅多にない状況。この、普遍性と特質性を説明できれば、非行という行為の根本を理解できるのではないか、とこのとき感じたのだ。

 

 

犯罪と違って、非行には「ねじれ」がある

非行とは、性質的に犯罪とは異質なものである。

 

 

形式的には年齢の違いだけだ。19歳未満の者が犯せば非行というし、20歳以上の者が犯せば犯罪と呼ばれる。確かに形式的にはこれだけの違いではあるが、この形質の違いは内容にも波及する。

 

 

たとえば、犯罪には理路整然と説明できるケースが多い。「生活に困窮していたから、他人の家に入ってお金を盗んだ」とか。「好みの女性だったので、スカートの中を見てみたいと思った」とか。「警察から捕まりたくないので、証拠を隠して自分も隠れた」とか。そこにあるのは、他人にも説明できるだけの常識である。簡単な理論だ。

 

 

けれど非行には理路整然と説明できない場合が多い。「未成年はだめだとわかっていたけれど、タバコを吸ってみたくなった」とか「違反なのはわかっていたけれど、引っ込みがつかなくなった」とか「二人乗りが危ないのはわかっていたけれど、やってみたくなった」とか。

 

 

だいたい、未成年である彼らは自分で稼いでいるわけではなく、親から養ってもらっている場合が多いので、窃盗の場合の「生活に困窮して……」という理由は理屈に合わない。子どもは親からお金をもらっているため、成人が犯す犯罪のように「どうしても欲しくなった」は窃盗の理屈として、動機と行為の橋渡しにはならないのだ。

 

 

だからそこに「ねじれ」が生じる。理屈に合わない。「AだからB」なのが犯罪だとすると、「AなのにB」が非行になる。

 

 

自分に不利益なことをしているのが、非行という行為の一つの特徴と言える。もちろん、これで非行のすべてが説明できるわけではないけれど、犯罪との違いの一つの面ではある。自分にとって危険なことをやって、しかもそれを隠しもせず、他人にもわかるように広告するのが、犯罪とは違う非行という行為の特質なのだ。

 

 

非行の起源とは

結論を言ってしまうと、非行の起源を動物の本能に求めることで、非行は理解しやすくなる。非行は、動物を観察することで説明することができるのだ。

 

 

たとえばニューギニアにいるゴクラクチョウという鳥。この鳥には、約一メートルの尾羽根があるけれど、当たり前に考えると、この尾羽根はこの鳥にとって不利益である。というのも、この尾羽根のおかげで目立ってしまうし、うまく飛ぶことができない。原産国のニューギニアには捕食者のタカもいるし、「タカに見つかりたくないのならもっと地味な格好をすればいいのに」と普通であれば思うのではないか。

 

 

ウィキペディアより引用)

 

 

けれど、そこが動物界の面白いところで、パラドクスが発生するところである。「現に尾の長いゴクラクチョウが生き残っている」という事実が示しているのだが、尾が長い方が生存競争上有利なのだ。一見、「敵に簡単に見つかってしまう」というリスクを持った個体だからこそ、生き残っているという事実は、その個体が優秀な個体であることを示しているのだ。

 

 

オスのゴクラクチョウは、自分が負っているリスクを周りに広告することで、自分が優秀な遺伝子を持った個体であることを示そうとする。そして、リスクを周りに広告する個体(オス)に引かれたメスとともに子孫を残し、「自分が負っているリスクを周りに広告する」という遺伝子と、「自分が負っているリスクを周りに広告することに引かれる」という遺伝子が錬磨されてより濃くなっていく。現に生き残っていることが、こられの遺伝子が受け継がれてきたことの証となる。

 

 

非行にも当てはまる動物の本能

このリスクを周りに広告する行動は非行にも当てはまると見られる。つまり非行とは、リスクを周りに広告し、自分が優秀な個体であることを示そうとする本能の一種なのだ。

 

 

こう考えることで、非行に関する疑問もスッキリするのではないだろうか。

どうして、「未成年はだめだとわかっていたけれど、タバコを吸ってみたくなった」のか。

どうして、「違反なのはわかっていたけれど、引っ込みがつかなくなった」のか。

どうして、「二人乗りが危ないのはわかっていたけれど、やってみたくなった」のか。

どうして、「轢かれる危険が高いのに、高速道路脇でたむろする」のか。

 

 

それは、自分がリスクをとってなお生き残っていることを示すことで、自分が優秀な個体であることを示そうという本能なのだ。リスクを取っていて、それなのになお生き残っていることが、自分が強い個体であることの証明になる。不利な状況にも関わらずピンピンしている。危険であるにも関わらず余裕を持っている。リスクが大きければ大きいほど、自分が優秀な個体であることの証明は強化されることになる。

 

 

日本には竹取物語という物語があるけれど、これには女性と男性の普遍的な本能の形が見て取れる。求婚してくる皇子たちに対し、かぐや姫はそれぞれ「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「火鼠の裘」「龍の首の珠」「燕の産んだ子安貝」を持ってこさせるように伝えた。いずれも手に入れるのは困難な品々ばかりである。入手するには危険が伴う。

 

 

つまり危険を伴うことで、「それだけの能力があることを示してみなさい」「自分と結婚できるだけの器かどうかを示してみて」というのだ。

 

 

いつの時代も女性は、リスクをとった男性に憧れる。少年マンガをはじめ、娯楽でスポーツはいつの時代も読者をひきつけるコンテンツだけれど、そんなスポーツ少年マンガに出てくるヒロインは、主人公の危険を顧みないプレーに引かれるものである。

 

 

自分よりも大きい相手選手に果敢に挑み、自分が怪我するかもしれないという状況に自ら飛び込み。たとえ勝利にはつながらなくても、そんな危険を犯す行為にヒロインは引かれる。ヒロインが引かれるのは、決して家でゴロゴロとノーリスクで寝転がっている輩ではないのだ。

 

 

明らかに危険とわかる状況にみずから飛び込む。一見「どうしてそんなことするの?」と疑問に思えるような危険な行動をする。いわゆる自己損傷行動をする者が、世の中では「格好いい」と思われ、より多くの子孫を残すようにプログラムされている。僕たちはそんな生物の世界で生きているのだ。

 

 

高速道路脇でたむろすることの意味

つまり、僕が高速道路脇でたむろする連中を見て、「どこにでもいる非行少年特有の表情、なのに高速道路脇という滅多にない状況。この、普遍性と特質性を説明できれば、非行という行為の根本を理解できるのではないか」と感じたのは、この自己損傷行動がハッキリと表れている状況だったからだ。

 

 

「車がバンバン猛スピードで付近を走り抜けていく。自分たちはそんな今にも死ぬかもしれない危険な場所に腰をおろして、アスファルト上に座っている。談笑して水も飲んでる」

 

 

高いリスクを負ってまでもなお生き残っていることを周囲に示して自分たちが優秀な個体であることを示している、わかりやすい例が高速道路脇での若者のたむろだったのである。

 

 

そんな非行を防ぐには

非行は「動物の本能」に起源を求めると、わかりやすく説明できる。が、実はこの客観的な視点こそが、非行を防ぐのに大事な視点だと思っている。というのも、「それって動物の本能だよ」と言われると、どこか馬鹿らしく思えるのではないだろうか。

 

 

人は誰でも、自分が周りの人間と同じではない固有の存在であることを示したくなる。そうやって自分の周りに輪郭線を引っ張ろうとして四苦八苦するのが人生だと言えるけれど、特に10代の後半は、この方法が見えなくて、自分の欲求の正体もわからなくて、周囲に迷惑な行動をとることも多い。

 

 

自分の欲求の正体がわからなくて、法律違反でもって目立とうとしたり、腕力的なことで他人よりも優れていることを示そうとしてケンカをふっかけてみたり。迷惑系ユーチューバーというのは、その類ではないか。

 

 

そんな時に、それって「動物と同じだよ」と教えてあげよう。自分が周りとは違う人間であることを内心で欲している人間に対し、「そんなことをやっても無駄だよ」と示してあげよう。まるで自分が遠くまで飛べることを筋斗雲で示そうとした孫悟空に対して、お釈迦様が「手のひらの上で飛んでいたに過ぎない」と教示したように、「そんなことをしても動物という枠内の出来事だよ」と教えてあげよう。

 

 

言われた方は、誇らしさを持とうとしていたそれまでの自分の行動に、どこか馬鹿らしさを感じることになる。誰か特定の人に盲目的に好きになっている人に、「よく見てみろ、お前が好きになった相手程度の人はどこにでもいるよ」と示してあげれば熱が冷めてしまうように、自分がそれまでしていたことを恥ずかしく思う気持ちが染み出してくるのではないだろうか。非行が馬鹿らしく思えるのではないだろうか。

 

 

参考

本文作成に当たり、「第三のチンパンジー」を参考とした。

 

 


 

 

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