タバコ全面禁煙と犯罪の共通点とは。社会から犯罪を無くす方法
子どもの非行だったり、親の虐待だったり。社会から犯罪を無くすには、気づくことが必要である。
どういうことか。
たとえば今日から改正健康増進法が全面施工され、多くの商業施設で全面禁煙になる。そのニュースを扱っているネット記事を読んだのだが、そこにはこんなコメントが書いてあった。
「喫煙者の方は、自分くらい少々マナー違反しても大丈夫と思わず、自身の行為いかんで自分たちの肩身が狭くなると考えてもらえたらと思います」
おそらくほとんどの喫煙者が、社会ではこれまでになくタバコに対する風当たりが厳しくなっていることを感じているはずだ。喫煙スペースは減る一方だし、メディアでも非喫煙者を善とする声が多く取り上げられているし、副流煙の健康に対する悪影響もさかんに言われている。
それでもいまだに道路や公共施設など、多くの人が行き来する場所でタバコを吸っている人を見かける。彼らは気づいていないのである。自分ひとりがタバコを吸うことによって、どれだけ周りが嫌な気分になるかを。
社会やメディアで「喫煙」「喫煙」と言われているが、その言われている対象が自分自身であることの自覚が無いのだ。だから「自分ひとりくらい吸っても大丈夫」「このぐらいなら許されるだろう」と、喫煙者はタバコに火を付けるのである。
「自覚」がなかったり「気づいていない」のは喫煙者だけでなく、世の中の犯罪者にも同じことが言える。
簡単に言ってしまえば、犯罪とは他人を攻撃することであるが、他人を攻撃することは多様性の欠如から生まれる。自分の価値観や自分の考えからズレている人を攻撃するのである。
自分の物差しで他人を測り、「この人は悪い人に違いない」「この行為はどう考えても悪だ」「この考えはだめに決まっている」と、勝手に思い込む。だから、自分以外の他人に対して不寛容になるのだ。親としての自分の価値観に合わない行為を子どもがすれば怒るし、上司である自分の考えとはズレた考えを部下が持てばパワハラをする。
けれど、この「不寛容はよくない」「怒ってはいけない」「相手を認めなければならない」「多様性を認めなければならない」ことは、多くの人がわかっていることだ。
SNSアプリを開けば、これらの内容を、多くの人が投稿している。フェイスブックで、ツイッターで、ブログで。不特定多数に向けて、多くの人が「不寛容はよくない」「怒ってはいけない」「相手を認めなければならない」「多様性を認めなければならない」と叫んでいる。
「多様性を認めないから犯罪が助長されるのだ」と、「親が意味なく怒るから、子どもが非行に走るのだ」と、「寛容の精神がないから、虐待がなくならないのだ」と、多くの人が言っている。
確かにそのとおりなのだ。このような偏見、不寛容、イライラ、多様性の欠如こそが、虐待や非行を始めとする犯罪の温床なのだ。
多くの人が正しい答えをわかっているけれど、それでも社会から犯罪は無くならない。
それはどうしてかと言うと、言われているのが自分だという自覚がないからなのだ。普段、自分がしている行為こそが、不寛容だということに気づいていないのである。
世間で言われているのが自分だと気づかないでタバコを吸っている人と同じで、自分が当の本人だという自覚がないのである。
たとえば交通違反の取り締まりで、一時停止違反をした車のドライバーを切符処理しようとすると、大抵こんな言葉が返ってくる。「お巡りさん、一時停止違反なんてどうでもいいことやっていないで、駐車違反とかもっとタチの悪い違反を取り締まってよ」と。
確かに僕も、警察官はタチの悪い違反を取り締まるべきだと思うけれど、かと言って駐車違反を取り締まれば、今度は駐車違反の違反者も同じことを言うのだ。「お巡りさん、駐車違反なんてどうでもいいことやっていないで、一時停止違反とかもっとタチの悪い違反を取り締まってよ」と。
つまりは自己中なのだ。多くの人が「自分に甘く他人に厳しい」ことに、自分自身が気づいていないのでる。
だから、もしも警察官がタチの悪い違反を取り締まろうとして「どれがタチの悪い違反なのか」を調べても、タチの悪い違反なんてものは存在しない。自分が一時停止違反をする人は駐車違反が「タチの悪い違反」だと言うし、自分が駐車違反をする人は一時停止違反こそが「タチの悪い違反」だというのだ。
イタチごっこになっていて、永久にゴールまではたどり着けない。車内にナイフを持っているような輩を捕まえても彼らは「ナイフなんてどうでもいいことを捕まえてないでドロボーを捕まえろ」と言うだろうし、ドロボーを捕まえても「ドロボーなんてどうでもいいことを捕まえてないで殺人犯を捕まえろ」と彼らは言うのだ。
このメビウスの輪を断つには、一人ひとりが「言われているのは自分なんだ」という自覚を持つしかない。他人事だと思わないで、テレビやネットで言われている迷惑な人とは自分であることに、一人ひとりが気づかなければならないのである。
虐待する親のニュースを見て「虐待なんてする親は人間じゃない」と思うのではなく、「自分もするかもしれない」と自分に当てはめた考えるのだ。あおり運転のニュースを見て「あおり運転なんてする奴は逮捕すればいい」なんて他人事のように思うのでなく、「自分も普段、あおり運転をしているのではないか」と、自分ごととして考えるのだ。
社会の犯罪は、無自覚から生まれる。
不寛容、多様性の欠如、イライラ、他人の価値観を認めない。これらが犯罪を助長することは、誰もがわかっているのだが、当の自分が不寛容だったり、他人の価値観を認めていないことには、多くの人が気づいていないのである。
自分の言動を顧みて、「自分のことかもしれない」という気づきこそが、社会をより良いものに変えるのだ。
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そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。
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