子育ての不安や悩みを吹き飛ばす考え方

2020.04.02 (木)

もしも子育てでつらいことがあるなら、この2つを意識するといい。

・自分を一般化すること

・他人を特別視すること

である。

 

 

どいういうことか。

 

 

人は誰でも自己中である。他人には厳しく、自分には甘いのである。他人がやっていることには目ざとく気がつく割に、自分がやっていることは「しょうがない」と妥協するのだ。

 

 

たとえば今、新型コロナウィルスの影響で、除菌商品や紙製の商品が品不足である。テレビではしきりに「在庫は余分にある」とか「製造は急ピッチで進めている」などと言っているが、店頭の棚には「売り切れ」の紙が垂れ下がっている状況である。

 

 

皆んなが、ドラッグストアに開店前から並んでいる光景が目につくようになった。「ここはパチンコ屋か?」と思う行列である。

 

 

コロナウィルス関連で、マナーが悪い客の話もネットなどで見るようになった。開店前に施錠されている自動ドアをこじ開け、店内で開店準備をしている店員に「今日はマスクあんの?」と聞くのだそうだ。

 

 

海外では、マスクや日常品の争奪戦が起きている。都市封鎖したり外出禁止令が出ている街では、食料を我先に自分が持って帰るために、店で客どうしが争って商品を奪い合うところもあるらしいのだ。

 

 

そんな状況を見て、大抵の人は「何をバカなことをやっているんだ」と思うだろう。食料品を奪い合ったり、マスクを買うために開店前から並んだり。そんなことをしている他人を見て、「そんな事をしてもみっともないだけなのに」と正論を思うだろう。

 

 

それは正しい。けれど、じゃあ自分はどうなのか。自分も同じことをしていないだろうか。商品を他の客と争うまではしないにしても、早足でマスクやティッシュをそそくさと店頭から持っていったりはしていないだろうか。

 

 

「自分の場合はしょうがない。もう家にある分は残り少ないし、自分は本当に必要な分だけしか持っていない」という声が聞こえてきそうだが、正にそこが問題で、それは自分の事を特別視しているのである。

 

 

「自分にはこれをするだけの特別な理由がある」と思っているのだ。50歩100歩で、商品を奪い合うのもマスクやティッシュをそそくさと買うのも大して変わらない。

 

 

たとえば友人から「仕事がつらい」と相談されて、何と答えるだろうか。恐らく多くの人が、「嫌ならやめちゃいなよ」とか「苦しんでまで続けることはないよ」とアドバイスするだろう。

 

 

しかし、次に自分のことに目を向けると、仕事がつらいと思っているのに、いつまでも同じ仕事を続けている。理由は、「自分の場合はしょうがない」だ。「自分には仕事をやめられない、これだけの理由があるのだ」と考えるだろうが、正にそれが、自分の特別視してる表れなのだ。

 

 

人は自分を特別視する割に、他人を一般化して考える傾向にある。

 

 

「嫌な仕事を無理に続けるだけの特別な理由」「我先にマスクや紙製品を買うだけの特別な理由」が自分にはあると考えるように、自分のことを「その他一般とは違う立場にある」「違う存在である」と考えるのだ。

 

 

一方、他人に対しては、一般化して見る傾向にある。特別な事情を持っていても、「それってよくある●●だよね」と、その他と同じように考えてしまうのだ。

 

 

「自分の人生がつらい」と感じるのもこれと同じで、自分の事を特別視しているからなのだ。「自分は子育てでこんなにも苦労しているのに」「自分はこんなにもつらい思いをして生活しているのに」と、あたかも自分だけがつらい思いをしているかのように考えて、自分が周りよりも苦しんでいるように思い込んでしまう。

 

 

けれど、そんな特別につらいかのような自分の人生も、他人から見れば「その他一般」なのである。

 

 

つまり、特別につらい思いをしたり苦しんでいるわけではなく、そう思う自分がいるというだけの話。自分の事を悲劇のヒーローだと考える自分がいるだけなのだ。実際にはそうではないにもかかわらず。

 

 

「人生や子育てがつらい」と思ったときは、「自分だけではない」と考えることだ。「自分は特につらい思いをしている」かのように考えず、「このくらいのつらさは誰もが経験してる」「自分だけが特別に苦しいわけじゃない」と思うことだ。事実、周りから見ればあなただけが特別につらい思いをしているわけではないだろう。その程度の悩みは皆んなが思っているものなのだ。

 

 

さらに、他人を特別視することである。

 

 

気を抜いていると、他人はいかにも幸せそうな人生をおくっているように見える。大した悩み持たず、苦しみを感じることもなく、のほほんと過ごしているように見える。

 

 

けれど、それは見せかけのことで、実際は苦しみや悩みのない人はいない。他人に関してはその他一般と考えないのがいい。

 

 

人は自分に甘くて他人に厳しいため、自分を特別視する割に他人を一般化する傾向にある。

 

 

この傾向がわかれば、普段の心替けが見えてくる。自分をあえて一般化して考え、他人をあえて特別視して考えるのである。自分の不安や悩みに関しては「皆んな、同じように経験していることだ」と距離を置いて考え、他人の不安や悩みに関しては、「それは大変でしょう」という距離を詰めて聞くのである。

 

 

 

 

 


 

 

 

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