子どもの非行を改善するには、肩の力を抜く事から始まる
子どものことで頭がいっぱいになっていないだろうか。
仕事があり、家事がり。他にも年老いた親のことで悩みがあるかもしれない。人間関係や資金繰りのことで悩みがあるかもしれない。その上に子どもの非行である。それでは頭がいっぱいになって、考えられるものも考えられなくなる。
もしも今、子どもが非行に走ってしまってどうしようか、と悩んでいるのなら、まずは肩の力を抜くことをおすすめする。子どもが万引した。子どもが家のお金を勝手に持ち出した。子どもの言葉遣いが悪くなってきた。そのようなことで悩んでいるのなら、まずは肩の力を抜いて、前のめりになっている姿勢を直して背筋を伸ばすことから始めるべきだ。
なぜなら、大抵の悩みは思い込みによって不安感が増幅されている傾向になるからだ。前のめりになっていると、見るものも見えなくなる。余計に大きく不安に思えて、本来見るべきものが見えなくなるのだ。
例えば子どもの素行が悪くなってきたとする。家ではご飯を食べるように言っても食べず、ゲームばかりにのめり込んで。学校にも行かず、学校に行ったと思っても行っていなかったことが後でわかったり。そんなときに、目の前の事実だけを見ていては、大事なことを見逃してしまう可能性がある。
確かに子どもはご飯を食べないのかもしれない。ゲームばかりやっているのかもしれない。学校にも行かないのかもしれない。けれど、だからといって、これらを反転させればいいのかと言うと、そうでもない。
ご飯を食べないから食べるように仕向ける。ゲームばかりやっているからゲームをやらせないようにする。学校に行かないから無理に行かせる。それでは確かに目の前にある現象は変わるのかもしれないが、本当に変わってほしいものは何も変わらないだろう。
「子どもの素行が悪さ」という本当に変えたいものは変わらず、ただ目の前の現象が変わるだけだ。ご飯を食べるように仕向けて、確かにご飯は食べるようになったけれど、親に対する機嫌はずっと悪い。ゲームをやらせないようにして、確かにゲームはやらないようになったけれど、ずっとイライラしている。学校に無理に行かせるようにして、確かに学校に行くようにはなったけれど、ずっと面白くなさそうにしている。
これではただのイタチごっこである。変えるべき現象が次々に変化するだけで、解決したい問題は相変わらず手つかずのままである。
ではどうすればいいのか。一つのテクニックではあるが、「なぜ」をつけて考えるようにしよう。目の前に現れている現象をただただ解決しようとするのではなく、その現象の背景を見ようとするのだ。
ご飯を食べようとしないのであれば、「なぜご飯を食べようとしないのか」と考えてみる。もしかしたらその背景には、ご飯を食べているときや家族で集まったときの雰囲気が悪いなどの理由があるのかもしれない。
ゲームばかりしているのであれば、「なぜゲームばかりするのか」と考えてみる。もしかしたらその背景には、友達関係が上手くいかず、一緒に遊ぶような仲のいい仲間がいなくて、安易にゲームに逃げているだけなのかもしれない。
学校に行こうとしないのであれば、「なぜ学校に行こうとしないのか」と考えてみる。もしかしたらその背景には、学校の勉強についてゆけず、あるいは興味を持てず、成績が悪くて授業を受けることに意味を見いだせないという理由があるのかもしれない。
目に見える現象の裏側にある、本当の理由を探るのである。これは、前のめりになっていてはなかなか目がいかない視点ではないだろうか。子どものことで頭がいっぱいで、一刻も早く子どもの非行を改善したいと思っていては、背筋を伸ばして「なぜ」を考えるなんて、余裕がなくてできないのではないだろうか。
「人間はほんとうに大事に思うものについては寛容になれない」とは、近代の哲学者・ミルが著書「自由論」の中で述べていた言葉である。
子どもが大事でない親は基本的にいない。皆んな、大事だと思うからこそ、不安になるし、頭の中がいっぱいになって、余裕を持って考えられなくなるのだ。一つのことしか見えなくなって、他にも余地を与える寛容さがなくなってしまう。
自分が出した結論が唯一だと思いこんで、そのレールから外れれば必死で戻そうとして自分の価値観を強いることになったり。あるいは虐待をしたり、あるいは諦めてネグレクトになったりするのだろう。
まずは肩の力を抜いて、楽になることである。人間は自分自信を特別視しがちなので、「自分ほどの不幸はいない」と思いがちである。「どこにでもある悩みだ」「大したことなんて無い」「皆んな同じだ」と考えることである。そのうえで落ち着いて、目の前の現象の背景を探っていくのである。
「なぜ」と考えられるような落ち着きと余裕が、隠れたウラのメッセージ、目の前の現象を一方的に見るのではなく、俯瞰的に見る一歩上からの視点を作ってくれるのだ。
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