なぜ隠れて取り締まるのか。電柱の影に隠れる警察官は卑怯だ!

2020.03.30 (月)

交通違反の取り締まりをしていてよく言われる文句の一つが、「なぜ隠れて取り締まりをするんだ! 卑怯じゃないか!」です。

 

 

これに対しては、3つの反論があるんです。

 

 

いなくてもルールを守るべし

「なぜ隠れて取り締まりをするんだ! 卑怯じゃないか!」っていう言葉の裏には、「堂々と姿を見せて取り締まりをしろ。警察官が姿を見せれば違反を未然に防げるじゃないか」っていう真意があると思います。

 

 

けれど、そうだとすると「警察がいれば違反しないけれど、いなければ違反する」という風にもとらえられるので、それって子どもっぽいですよね。小学生に対してなら「先生が見ているから悪いことするな!」ってのもわかりますけど、いい大人に対して「見ているから悪いことするな」はないでしょう。

 

 

分別のつくいい大人であれば、誰も見ていなくてもルール違反はしないでほしいですね。

 

 

隠れた方が合理的

普通の警察官であれば、あんまりこのことは言わないんですけど、やっぱり隠れて取り締まりをする方が合理的なんです。当たり前の話で、警察官の姿を見れば運転手は途端に違反をやめます。普段は一時停止線で止まっていなくても、警察官の姿を近くで見れば一時停止線で止まるでしょう。

 

 

携帯電話を見ながら運転していても、パトカーを見れば途端に携帯電話を助手席に置いてしまうでしょう。いくら急いでいて赤信号を無視して車を飛ばす勢いでも、警察を見てしまえば、「捕まるかも」っていう不安が湧いてきて、赤信号でブレーキをかけてとまるでしょう。

 

 

けれどこれでは、普段の運転をあぶり出せません。これでは失敗したテスト問題と同じです。一夜漬けなどの表面的な知識でなく、本当の学力を測るのがテスト問題です。わかっている人が解けて、わかっていない人が解けない。テスト問題とはそうあるべきなのですが、出題に失敗したテスト問題は、わかっている人が解けなかったり、わかっていない人でも解けてしまったりします。本当の学力を測れないんです。

 

 

それと同じで、本当の技術、普段の運転をあぶり出すのが、交通取締りであるべきです。表面的に体裁を取り繕ったもので判断しては、本来の目的である「事故防止」に繋がりません。

 

 

「警察が見ている」という意識が入ったのでは、普段の本当の運転が影を潜めてしまうので、それでは取り締まりをする意味が無いんです。だから、隠れます。

 

 

普段の運転をあぶり出すために。耳に当てて通話している携帯電話を助手席に置かれてしまう前に。いくら急いでいても、一時停止線や赤信号できちんと止まるかどうかを見極めるためにです。

 

 

治安を守っているんだから卑怯とか言っていられない

例えば相手を殺す勢いで飛びかかろうとしている人を、数人がかりで抑えつかたからといって、それを「一人に対して数人で抑えつけるなんて卑怯だ」なんて言うでしょうか。

 

 

子どもを虐待している疑いのある隣人家庭が気になって普段から警察に相談していて、今日も怒鳴り声が聞こえたから警察に通報したとします。警察官は急いで現場にやってきて、虐待者を取り押さえたとします。「いきなり取り押さえるなんて卑怯だ」なんて言うでしょうか。

 

 

交通違反の取り締まりに対して「卑怯だ」という人は、勘違いをしています。「警察官が守っているのは社会に対する治安であって、これは2人の勝負ではない」ということです。もしもこれが2人の間で行われる勝負事なのであれば、卑怯な行為は許されないでしょう。

 

 

一対一の勝負なのに、数人がかりで相手を制圧したり。「用意、始め!」の合図があってから始めなくてはならないのに、いきなり相手に仕掛けたりしては、「卑怯だ」と言われても仕方がありません。

 

 

ですが、交通違反の取り締まりとは二人の間の単なる勝負事ではありません。警察側が守っているのは、意識しているのは、社会というものの治安なのです。交通違反で運転手を捕まえると、なにか自分と警察との間の勝負事であるかのような錯覚を持っている人が多いように感じます。

 

 

だからこそ、隠れて取り締まりをしている警察官に対して「隠れるなんて卑怯だ。姿を表わせ!」なんて時代劇で言われるようなセリフを吐くのでしょう。

 

 

残念ながら、警察官側からして、見ているのは一人の違反者だけではありません。交通取締りは、警察と運転手の間の「見つけるか見つけられるか」の勝負ではありません。警察が見ているのはあくまでも社会全体の治安なんです。本来の目的にしているのは、目の前の一人の違反者ではなく、その後ろにある車改全体としての治安なんです。

 

 

だから、隠れて取り締まろうが、卑怯に思えるような方法で取り締まりをしようが、そんなことは言っていられません。事故で人が死ぬかもしれないのに、大勢がケガを負ってしまう可能性があるのに、「日本人らしく堂々と」とか「フェアプレーの精神を持って」なんてやっていられません。

 

 

交通取締りは、警察官と運転手の二人の間の単なる勝負事では無いんです。

 

 

 

 

 


 

 

 

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