自分だけ良ければいい人へはどう対応すればいいのか
自分の周りを見てみると、「自分だけ良ければ」とか「自分さえ得すれば」と考えている人はたくさんいるわけで、そんな人にどう対応していけばいいのか、僕の考えを書いてみたいと思います。
僕としては、共通点を見つけることです。というか、「自分もそう考えているのだろうか」とか「自分も周りからわがままだと思われているのだろうか」と考えてみることです。
わがまま、自己中、主観的、自分のことだけ考えている人……。そんな風に言い方は色々あるのですが、自分も相手も、同じように自己中なのではないか、と考えてみるんです。「相手も自分も同じように自己中である」というのを共通点にして、自分や相手を含めて、世の中を見るんです。
そうすると、「同じなんじゃないか」と思うのではないでしょうか。自分も相手も「結局は同じ生き物なのではないか」「似たような思考回路を持っているのではないか」と思ってこないでしょうか。
違う生き物、自分とは考え方が違うもの、と考えると、「あの人の言っていること、意味ワカンネえ」なんて思って避けたくもなるのですが、「結局は似たものどうし」「同じ思考を持った者どうし」と考えると、親近感が湧いてくるのではないでしょうか。
そうやって親近感をもって相手を見ると、「許してやるか」とも思えるようになると思います。冷めて目で、一歩引いて達観した感じになると思いますが、相手と距離をとると、寛容さがでてくると思います。距離を近づけて、相手のことをじっと見て、「んん? コイツのこんな所が気に入らないぞ」とか「コイツのこんな所が自己中なんだ」と感情をぶつけるように見るのもいいのかもしれませんが、僕はどうしてもそうは見えないんです。
僕はもともと人間関係に関しては距離を置いて接する方なので、生来の性格でもあるのですが、どこか遠くの木々を見るように相手を見てしまうんです。そうするとどうなるか。「まあ、そういうこともあるよね」とか「お前もがんばってるんだよな」とか「お互いに頑張ろうぜ」って思えてしまうんです。
結局は、「そんなにそんなに突飛な人間なんていない」ということなんだと思います。確かに突飛な人間は、周囲にたくさんいるように思えますよね。誰ひとりとして、汎用的な人間なんていない。それぞれが、それぞれのバックや文化や背景や、特徴や、思いを持っているんです。個性があって、アイデンティティーを持っている。けど、それは誰しもなんです。誰もがアイデンティティーをもっているので、アイデンティティーを持っているのが当たり前なんです。突飛な人間であることは、誰しもに当てはまることなんだと思います。
だから、「あの人は自分のことばかり考えて」と自己中な相手に対して不快になったりするとは思うんですけど、そこは冷めた目で見てはいかがでしょう。そうすると、自己中な相手に対して怒っていたり、不快に思っている自分がバカらしくなってくるのではないでしょうか。怒りがやわらぐのではないでしょうか。
相手を格下に見てみる、とも言えます。自分よりも格下の相手には、おおらかな態度をとれますよね。大人の対応をとれますよね。「ああ、この人はわかっていないんだな」とか「自分の方が広い視野を持っているな」とか。
俯瞰することで、感情的にならず、冷めた大人の対応がとれるようになります。所詮は「俯瞰」なんて、個人の思い込みでいいんだと思います。自分が俯瞰していると思えば、それは俯瞰なんですよ。自分の心の中なんて相手にはわからないし。自分の心の中に、大きな空間をつくって、想像で空から周囲の世界を俯瞰するんです。
そうすることで、自分のことしか考えていない自己中な相手にも、おおらかに、寛容的に、「許してやるか」と波風立てない対応ができるでしょう。
そのための第一歩が、相手と自分を同じレベルで見ることなんです。同じフィールドに立っている相手と自分を、空から見下ろしている感覚でしょうか。広大な銀河の中に存在する太陽系、どこまでも真っ暗な宇宙に浮かぶ青い地球、その中には大勢の生物や人間が生きているわけです。虫もいて、魚もいて、動物もいて、菌もいて、植物もいて、皆が一生懸命に生きている。その中の一人なわけです。相手も自分も。
「コイツは嫌な性格だなあ」とか「コイツ、こんな事しやがって」なんて思うのは日常茶飯事でしょう。確かに嫌なことをされるのは現実でしょうし、「嫌だなあ」と思うのは人間なので、当たり前のことだと思います。実際に不利益も受けるのだと思います。
けれど僕だったら、そこで相手に言わず、「まあそんな奴もいるさ」と思えます。当たり障りの無い対応をとれると思います。それは、相手と自分が同じフィールドに立っていて、同じように一生懸命に人生を生きている多の中の個であることを想像できるからだと思います。
たしかに、正直に「あんたのその性格、どうにかしてよ」と相手に素直に言うことも一つの方法だし、そういう直線的な言動をアドバイスする著名人もいるとは思うんですけど、それだと人間に生まれたことの意味がないと僕は思うんです。
数ある動物の中で、欲を抑えて、感情に従わずに、もっと先を見た言動をとれる僕ら人間なのですから、俯瞰的な視点をもった方が、より気持ちよく生きていけると思うんです。「特別に許してやるか」という心が、いい対応なのではないでしょうか。相手と自分が同じフィールドに立っているのを上から見下ろす感覚、ですね。
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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
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