そういえば時間って無いよね
「天と地」
「天使と悪魔」
「都会と地方」
何かとこの世界って、2つの事柄を1セットに組み合わされていますよね。「表と裏」「陽と陰」「光と影」など、数え上げればきりがありません。この方が覚えやすいのか、それとも我々人間の思考の中にはもともとこの2つで1セットという考え方が組み込まれているのか。
確か何かの本で、この2つの事柄を1セットにする、という考え方は、古代ギリシャから始まったと読んだことがあります。哲学者の名前は忘れたんですけど、古代ギリシャの哲学者によって、この世界の二つの方向からの見方ってのが広まって定着していったそうです。
だから、この2つを1セットというのは、意外と人工的な考え方のようです。人間が作ったもの。人が考えたもの。だから、2つで1セットだと考えられているもので中には間違っているものもあるし、本当かどうかわからないのにそれが「真実だ」と思って覚えてしまっているものもあるのかもしれません。
私は昔、小学生の頃に「時間と空間」っていうのを1セットで考えるようになりました。なんとなく覚えているんですけど、国語の授業かなにかでプリントが配られて、たしか「反意語を書け」って問題だったと思うんです。その問題の中に、「時間」って書かれていて、答えとして「空間」って書く問題があったと思うんです。時間と空間を1セットで考えるようになったきっかけの一つだったと思います。
そうでなくとも、日常の中で何かと空間と時間ってのは1セットで記述されがちですよね。映画やRPGゲームでも、空間を操る魔法使いもいれば、時間を操る魔法使いもいます。
我々は何かと、時間と空間を同じような概念だと考えがちなんですよね。空間が広がっていることの対極として、時間が過去から未来へと流れている。空間が広がっているように、時間ってのも流れている。で、それはどこから始まったのかというと、ビッグバンから始まったんですよね。ある一点の大爆発から空間が広がって、時間も始まったと。その前は「無」だったんです。
まあここまで書いていて、やっぱりおかしいですよね。時間が始まったとか、時間が流れている、とか。時間って目に見えるものじゃ無いですし。たしか、小学生の時に時間と空間を1セットで覚えるように言われた時、あの国語のプリントの答え合せをした時は、不思議な感じがしたんです。だってその時までは、「時間が始まった」とか「時間が流れている」っていう感覚がなかったんですから。
なのに時間と空間を1セットで覚えるように言われて、それから時間と空間を1セットで見るようになって、徐々に「ああ、時間と空間って1セットなんだな」「空間の対極として時間があるんだな」と思うようになっていってしまった。そのことにあまり疑問を持つこともなくなっていったんです。時間と空間を1セットで考えることが「科学」であり、この世界の「真実」だと思うようになっしまったんです。
ですけど改めて考えると、時間っていうのは空間とは別物だと思うんです。空間と対極にあるものとしての時間っておかしいと思うんです。時間と空間っていうのは1セットで考えるものでは無いとも思えるんですよ。だって、結局は時間って、目に見えないじゃないですか。手で触れないじゃないですか。
空間っていうのは目に見えます。世界が広がっていますから。建物だって立っていますし、地面だってあります。海があるし、大陸だっていくつかあります。宇宙には地球があって、太陽があって、月があります。
それなのに時間って、考えてようやく出てくるものなんですよね。無理に「そうだ」と考えて出てくるもの。実際のところ、時間っていうものは実体がない。手触りがあるものでもない。目を凝らせば見えるものでもない。頭の中で「こういうものがあるらしい」「世界はこう見るらしい」っていうのをひねり出して、ようやく「こんな感じかな」って思えるものなんです。
もしかしたら間違っているのかもしれませんね。空間と違って、時間っていうのは無いのかもしれません。あの国語のプリントで答え合せをする以前の私の方が、より真実に近かったのかもしれません。少なくとも素直だった。時間を無いものだと思っていたので。
ビッグバンってのが大昔にあって、その時に空間と一緒に時間が始まって、過去から未来に向かって流れていて、「今」っていうのはその途中のことをいう。
そんな世界観は、真実では無いのかもしれません。素直に考えれば、時間は無いんです。過去ってのは「さっき」のことなんですけど、「さっき」と「今」に違いはないのかもしれません。未来のことを「これから」ともいうんですけど、「これから」と「今」に違いはないのかもしれません。「さっき」の自分も「これから」の自分も、どちらも今このときを生きている私に違いはないですよね。「さっき」も「これから」も「今」も一緒だし、元々そんなものは無いんです。
・・とまあ、そんなことを考えさせられる「毎日小学生新聞」でした。小学生新聞って、侮れない。・・ってか素晴らしい。こんな深いことを、子どもにも興味がわく書き方で提供しようとしている。アイフォーンの廉価版とか、アウトレットで売られているブランド品とか、そんな位置付けではない。そう考えることも失礼。小学生新聞にコアを見た。いわゆるパンチライン。
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