子どもの非行を防ぐための方法に対する反対意見とは

2017.10.10 (火)

非行に走る子どもをなくすため、「男性的価値観から抜け出さなければならない」や、「チンピラ風の人間が子どもに悪影響を与える」や、「車は社会悪」などというと、よく言われる反対意見が

・自由でしょう

・偏見だ

という2つです。

 

 

自由でしょう

 

 

まず「自由でしょう」という反対意見に対してです。確かに基本的に行動は自由であって、誰からも規制されるべきものではありません。ですけど、犯罪者、悪いことをしている人、悪いことをしようとしている人、は皆んな言うんですよ。自分がした行為に対して「こんなの自由だろう」って。

 

 

「自由」ってのは、犯罪を正当化する際によく言われる言葉なんです。多くの犯罪は、「自由」と言われる枠組みの中から出てきます。その「自由」と言う際には大方、自分の身勝手さを軽視している場合がほとんどです。

 

 

例えばコンビニでたむろしている若者たち。彼らに言わせても、コンビニでたむろすることは自由なんです。「俺たちの勝手」などと言う。

 

 

だけどそれは自由とは言えません。すでに迷惑をかけているからです。店の人にも迷惑だし、店を利用する他のお客さんにも迷惑だし、その地域に住んでいる人にも迷惑です。人に迷惑をかける行為は、規制される対象候補となります。

 

 

だから、「自由だろう」と言うのは、非常に危険な言葉なんです。多くの犯罪が、一見「自由かも」と思われる範囲やグレーゾーンに思える場所から出てくるのです。簡単に自由などと言うのは、思考停止とも言えます。

 

 

偏見だ

 

 

次に「偏見だ」と言う反対意見に対してです。

 

 

偏見はありません。実際にチンピラ風の人間の多くはトラブルを起こします。チンピラ風だったりヤクザ風だったり、不良っぽかったり、と言う態度をと言っていると、人と揉めたり、摩擦があると、後ろに引けなくなります。前に出て好戦的な態度をとることしか方法がなくなります。

 

 

確かに「うちの旦那は怖く見えるけど、中身はいい人」「俺の友達は不良っぽいけれど、本当はいい人」などと言う人もいますが、それはそう言う人もいるでしょう。ですが、個々の事例に左右されずに薄目で全体を見れば、チンピラ風の人間は社会悪なんです。

 

 

チンピラ風の人間と言うのは大抵、いい車に乗ろうとします。(チンピラ風の人間が載っている車が実際にいいとは思えませんが・・)

 

 

事故を起こしたり、車でのトラブルを起こす人間もまた、多くはチンピラ風の人間なんです。威圧的な運転、自己陶酔な運転、寛容さのない運転。完全自動運転の未来を待ち焦がれます。早く運転から人間性が無くなって欲しいです。そうすれば、無茶な運転をする車がなくなるでしょう。

 

 

 

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