自由とは何か

2019.04.02 (火)

自由とは何か。あなたは考えたことがあるだろうか。世の中の大部分の人は、自由を求めている。会社から束縛されて、家族から束縛されて、社会から束縛されて生きているからだろうか。そ言う感じるからだろうか。だからみんな、旅行が好きなのではないか。ほんのひと時、普段自分を束縛しているものから逃れ、いっときの自由を感じる。旅行に行けば、いつもの日常から離れられる。その人にとって、日常とは束縛なのであろう。

 

 

旅行に行かなくても、多くの人が普段から自由を求めている。私が仕事をしている近所にはGUっていう洋服屋があるが、これは「自由」をもじったものだそうだ。開放的な雰囲気を演出しているわけだ。このお店に来れば解放考えられますよ。このお店の商品を買えば自由を味わえますよってものだろうか。

 

 

少し大きなことを言ってしまうが、人間の営み自体が、束縛からの解放であって自由への渇望である。例えば今、基本的に我々を支配している者はいない。王政を敷かれているわけではないし、我々は奴隷ではない。だけど、江戸時代の日本には、将軍様がいたわけだ。毎年、年貢を納めていたのだろうし、「自分よりも偉い人」ということで、敬って(少なくとも姿勢は)いたのだろう。そこから少しずつ、「この敬うっておかしいんじゃないの?」っていう風潮が出てきた。初めは将軍様を敬うことになんの疑問も持っていなかった人たちが、徐々に支配されることに違和感を覚え始め、さらには行動を起こし、維新を経て明治になったのである。

 

便利な世の中とは、自由で解放されていることを意味する。例えば飛行機なんかも、自由への渇望である。「空を飛べない」という人間の不自由を解放するために生まれたのが飛行機だ。飛行機の発明によって、空への自由を手にすることができた。「飛べない」という不自由から解放され、人間は「飛べる」ようになった。

 

 

さて、みんなが欲しがっている自由、みんなの憧れの自由。この自由について、1つだけ言っておきたい。自由の一側面である。物事にはメリットとデメリットがあって、良いこともあるし、悪いこともある。良いことは味方を変えると悪いことになり、どちらを見るか、どちらを取るかはその状況次第である。

 

 

自由には「束縛されない」というメリットがあるが、見過ごしがれがちな自由のデメリットとは何か。それは、面倒ということだ。自由とは面倒なものなのである。手間がかかると言ってもいい。自由でいるためには、自由を維持するためには、エネルギーが必要なのだ。頭を使わなければならないし、行動しなければならない。決めなければならないし、絶えず自分を磨いていかなければならない。それが自由である。

 

 

例えばレストランでオーダーする際、どのように食べ物をオーダーしているだろうか。誰かに決めてもらってはいないだろうか。「なんでもいいよ」と言って、自分で決めずに丸投げしたり、「俺も同じ」と言って誰かが注文したものと一緒にしたり。別に人に決めてもらったり、他の人の注文を真似ることが悪いと言っているのではない。ただ、自ら自由を放棄していないかと言っているのだ。自分で考えず、自分で決めず、自分で動かずに、他の誰かに乗っかっている。他の誰かが考えて、決めて、動いた結果に従っている。これはまさに、支配されている状態と同じではないだろうか。

 

 

自由とは、自分で決めなければならない。自分で考えなければならない。自分で動かなければならない。そんな面倒臭い、手間がかかるものなのだ。メニューの中にある数ある料理の中から、自分で選んで決めなければならない。色々な思惑が頭の中に巡るだろう。値段は高くはないのか? 本当に美味しいのか? 誰かと被ってはいないか? 待ち時間が長かったら周りに迷惑がかかるぞ? 本当に自分はこれが食べたいのか? 今までも食べたことがある定番の品ではないのか? 他にこの店のお勧めがあるのではないか? などなど。

 

 

自由とは、手間がかかって面倒くさいものなのだ。私は今、仕事面で自由を手に入れた。組織から離れ、時間的、場所的に比較的自由な立場にあるのだと思う。だけど面倒ではある。考えなければならないからである。何を考えなければならないか、それすらもハッキリとは決まっていない。目の前には荒野が広がっているばかりである。何をしてもいい。どう振る舞ってもいい。どこに行ってもいい。何を発信してもいい。ただ、全部自分に跳ね返ってくる。数限りなくある選択肢の中から、自由を維持するのに都合が良さそうなものを考えなければならない。

 

 

時は流れるし時代は絶えず変わっていくので、自分がいつの間にか自由ではなくなることもあるかもしれない。自由でいるためには、自由を維持するためにトレーニングも必要なのだ。自由に振る舞えるだけのものがなければ、たちまち不自由になってしまう。

 

 

自由とは、広大な荒野が目の前に広がっているようなもの。なんでもできる。何をしてもいい。何をするのかも自由。だから、「何をするのか」から自分で考えなければならない。

 


 

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