犯罪や非行をなくすヒントは、カマキリの交尾にある
昔、カマキリの交尾についての話を聞いた時、おぞましくて身の毛がよだったことがある。
カマキリの交尾について知っているだろうか。あるいはカマキリの交尾の様子を見たことがあるだろうか。カマキリだけではなく、ある種のクモもそうであるらしいのだが、彼らは交尾の最中、異性に自分が食べられてしまうのだ。特にオスらしい。カマキリのオスは交尾の最中、自分の体をメスに食べられてしまうのだ。
これを聞いてどう思うだろう。多くの一般常識のある人は、「なんて凶暴なメスなんだ!」とか「知能がない昆虫だからしょうがないか」などと思うのではないか。私もそうだった。自分の体を交尾の最中に相手に食べられてしまう。そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。だとしたら、なんのための異性なのだ。なんのための同種族なのだ。自分を大事にしてくれる相手がいるからこそ、生存していることに喜びを感じるのではないか。同じ様に生きている仲間がいるからこそ、生物としての生を実感するのではないか。
だが、私と同じようにカマキリに対して「馬鹿げている」と思った人は、それだけで思い込みに囚われているのかもしれない。昔、哲学者で数学者のフランシス・ベーコンは、人間を惑わす4つのイドラ(思い込み)について語ったらしい。種族のイドラ、洞窟イドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ。カマキリの交尾に対しての嫌悪感は、そのうちの種族のイドラなのだろう。人間という種族であるがゆえの思い込み。人間としても感覚しか持っていない我々特有の思い込みだ。
というのも、カマキリにとって最も優先すべきは、生存ではないのだ。確かに彼らカマキリにとっても生存は大事だが、それよりももっと大事なことがある。それは、遺伝子を引き継ぐことだ。自分の遺伝子を後世まで残すことだ。カマキリにとって生存とは、カマキリにとって自分が生きているということは、遺伝子を引き継ぐ上での一つの戦略でしかない。彼らは、遺伝子を残すために生きてるのだ。彼らが生きているのは、遺伝子を残すためなのだ。
そこが、我々人間と違うところなのだろう。人間の感覚しか持っていない我々では、考えが及ばないところなのだろう。
カマキリのオスは、交尾の最中にメスから食べられてしまうのではない。「食べられれしまう」というと、あたかもオスの意思に反して、「本当は食べられたくないのに食べられてしまう」ようなニュアンスであるが、そうでもない。オスは交尾の最中、みずから自分の体をメスの口元に近づけて食べてもらっているのだ。どうしてか。そうすることが、より多くの遺伝子を残すことに繋がるからだ。
もしもカマキリのオスが、人間のオスのように一生のうちで複数のメスに出会うものであるのならば、できるだけ多くのメスと交尾をするほうが、より多くの遺伝子を残すことができるだろう。だがカマキリの社会は、人間のように甘い社会ではない。一生のうちでメスに合うことなど滅多に無いことなのだ。出会えれば運がいい方で、一度もメスに出会うことができずに一生を終えるオスもいるのだ。だから、オスは一度メスに合ったならば、その機会に全ての遺伝子を残そうとするのだ。
どうすればより多くの遺伝子を残せるのか。
一つは、メスに多くの卵を生んでもらえばいい。どうすればメスは多くの卵を生むのか。栄養状態が良好であれば、メスはより多くの卵を生むだろう。だから自分の体をエサとしてメスに提供するのだ。自分の体を食べてもらい、より多くのカロリーやタンパク質を摂取してもらって、排卵時のメスの栄養貯蔵量を上げるのだ。
もう一つは、より多くの精子を出すことである。どうすればより多くの精子を出すことができるのか。精子をただ出すだけではなく、より多くの卵を受精させるためにどうするか。それは、長く交尾することだ。自分の体をメスに食べてもらい、交尾の時間を稼ぐのだ。メスはオスをむさぼり食べることに夢中になり、オスの生殖器はメスに挿入されたままになる。オスはメスに体を食べられる際、生殖器のある腹部ではなく、生殖器のない頭部や胸部から食べてもらう。交尾の時間を少しでも長くすることで、より多くの精子を受精させるのだ。
我々人間は、生きたいと思う。「交尾と生存とどっちをとるのか」と聞かれれば、ほとんどの人が「生存」を選択し、「そんなのは生き物として当たり前だろう」と答えるだろう。が、その考えがすでに思い込みにとらわれているのだ。ベーコンのいう「種族のイドラ」だ。人間の感覚しか持っていないがゆえの思い込みだ。
生存は、遺伝子を伝達するための一戦略でしかない。我々が「交尾と生存とどっちをとるのか」と聞かれて生存を選択する事を当たり前だと思うのは、複数の異性と交尾をすることを想定しているからなのだ。もしも人間の社会がもっとサバイバルであるならば、もしも異性と出会うことが稀であるならば、「交尾と生存とどっちをとるのか」と聞かれて「交尾だ!」と答えるのが当たり前になるのかもしれない。
我々は思い込みに囚われている。自分の価値観が当たり前だと思っていては、他人の価値観など理解することができないだろう。犯罪者にしろ、非行少年にしろ、根底にあるのは他者への想像力の欠如である。相手の身になって考えることができていないのだ。もしも他者への想像力を育みたいのなら、自分の価値観を崩したいのなら、思い込みから抜け出したいのなら、そのヒントはカマキリが持っているのかもしれない。
「馬鹿げている」と言わず、「おぞましい」と思わず、カマキリの交尾をよく観察してみよう。そこにあるのは、自己中である限りは決して理解できない世界だ。犯罪や非行のない社会を作るヒントは、自己中でなく、他者への理解にこそある。カマキリの交尾は、「あなたは思い込みに囚われているんじゃないですか?」という自分の価値観の限界を知らせてくれるヒントなのだ。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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