子どもを天才に育てる方法を発見! 新聞に載っていた

2019.12.04 (水)

子育てをしていると、誰もが「うちの子どもを天才にしたい」と思うのではないだろうか。

 

 

当たり前だが、子どもは若い。この世に生を受けてからまだ間もない。この先、老死するまでにまだ何十年も残されている。先が決まっているわけではなく、可能性がある。だからこそ、誰もが「天才に育てること」を夢見るのだろう。

 

 

けれど実際はどうか。徐々に天才に育てることを諦めていってしまうのではないか。教育費を捻出するのに限界を感じたり、自分の子どもよりも才能に恵まれている子どもを見てしまったり、競争で負けてしまったり。そんな現実を過ごしていくうちに、我が子を天才にすることを諦めてしまうのである。

 

 

 

先日、新聞を見ていたら、「子どもを天才にする方法」が載っていた。いや、正確には「天才とは」という、天才に関しての定義であるが、この定義を使って考えを進めていくと、「どうすれば天才を作れるのか」「我が子を天才にするにはどうすればいいのか」がわかってしまう。そんな記事であった。

 

 

その新聞にはこう載っていた。

 

 

 

 

 

「天才とは、蝶を追いかけて山頂まで登ってしまう少年である」

 

 

どうだろうか。天才とはどんななのか。並々ならぬ才能を発揮するとはどういうことなのか。世の中に影響を与えるインフルエンサーとはどういう過程を得て影響を与えるまでになったのか。社会を変える人間にはどんな過去があるのか。そんなことが、この比喩からわかるのではないだろうか。

 

 

好きなことの延長なのだろう。夢中になってやっているだけなのだ。天才とは、なにも「天才になってやろう」「世の中を変えてやろう」「社会に影響を与えてやろう」なんて、打算的な気持ちを持って生活してきたのではない。「こうすれば天才になれるのではないか」「こんな事をすれば社会に影響を与えられるのではないか」「こんな風にすれば効率的に天才になれるのではないか」という邪(よこしま)な気持ちで取り組んできたのではない。

 

 

周りを見ていなかったのだ。そんな打算などなかったのだ。「どうすれば天才に……」なんてことを考えてはいなかったのだ。ただただ蝶を追いかけていただけだった。誰でも子どもの頃に、夢中になったことがあるだろう。まだまだ世の中を知らなかった子どもの頃。あの頃は、誰でも自分の内側のみに世界があったはずだ。周りを気にすることなんてまだ知らなかった。だから世界のすべては自分の内側にあったはずなのだ。そんな、周りの人間を気にしない頃に夢中になったもの。純粋に自分が興味を引かれる中で選んでいったもの。そんな夢中になることの延長上に天才はあるものなのだったのだ。

 

 

この考えを進めていくと、天才とは諦めるものではないことがわかってくる。まだまだ誰でも天才になれるし、どうすれば自分の子どもが天才になるのか、わかるのではないか。

 

 

天才をつくるのに教育費はいらない。むしろ教育費は邪魔な存在である。なまじ教育費を捻出できるだけの収入があると、あれもこれもと子どもに与えようとしてしまう。たとえお金のかからないような単純な興味でも、たとえ大人の目から見て先のない分野に見えても、たとえ天才とは関係のない遊びに見えても、子どもが夢中であれば、それでいいのだ。

 

 

「蝶をおいかけてしまう」のが天才。「しまう」のだ。勝手にそうしてしまうものなのだ。だから、子どもに対する余計な働きかけは不要と言える。子どもに対して色々とアドバイスしていないだろうか。「アレのほうが良いいよ」「こっちのほうが良いかな」「向こうの方がいいんじゃない?」と言って、子どもが山頂まで登ろうとするのを邪魔していないだろうか。アドバイスは不要。邪魔はしないであげよう。蝶を追いかけ始めたら方っておくに限る。

 

 

この比喩は、おそらく「少年」という部分さえも、「ものの例え」だと思われる。山頂に登ってしまう少年は、なにも実年齢的に少年である必要はなく、精神年齢が少年である場合も含まれているのだろう。「少年」という言葉の意味は、「少年の心を持った」という意味で解釈されるべきだ。つまり、そんな無邪気な少年の心を持っているのなら、何歳でもいいということだ。

 

 

だってそうだろう。夢中になるのに年齢なんて関係があるのか。蝶を追いかけるのに年齢なんて関係あるのか。確かに年齢が上がればキツイかもしれない。10歳の子どもが蝶を追いかけるのと、60歳を過ぎた大人が蝶を追いかけるのでは疲労度が違う。だが都合がいいことに、この比喩には実際に捕まえられるかどうかは含まれていない。天才になるのには夢中になることなのであって、実際にその蝶を捕まえられうかどうかは関係ない。だから、たとえ実年齢が少年でなくとも、60歳なり70歳を超えていようと関係ない、ということになる。

 

 

もしも子育てをしているのであれば、自分みずから、蝶を追いかける姿を子どもに見せてはどうか。夢中になる後ろ姿を子どもに見せてはどうか。きっと子どもも真似をして、同じ様に自分が好きな蝶を見つけて追いかけるだろう。追いかけて、追いかけて、夢中になって追いかけて、気づいたときに広がっているのが山頂なのだ。

 

 

 

 

 


 

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