資格を取ることを考えるな〜考えたら負け

2018.12.09 (日)

 

色々とたくさん、勇気をもらえる言葉が書いてありました。非常に読みやすいです。っていうか、読みのが簡単です。ページを開いて、右ページに金言、左ページに文章が5行くらい、載っているだけですから。

 

 

だけど、その短い言葉がかなり重いです。刺さります。動こうかどうかと迷っている時や、動いてしまって「失敗だったかな」と思っているときに、背中を押してくれます。著者は、特別に「人助け」などとは思っていないはずです。「本を発行する事が人助けになる」とか「本を出す事で人を助けたい」だなんて思っていないでしょう。ですが、確実に救われます。気が楽になるし、踏みとどまろうとしている足を前に進めてくれます。

 

 

本を読む醍醐味でしょう。言葉から勇気をもらう。よく本を読むことと、人に会うことは比較されます。どっちがいいとか。どっちが良くないとか。おそらくどっちでもいいんでしょう。根本は同じです。インプットとしては同じです。人と会ってインプットするか、文章からインプットするかの違いです。

 

 

時々聞くのが、本に対する批判的な意見ですね。「成功には読書」とか「成功者には多読が多い」とかいう読書を擁護する声と同時に、「本を読んでも意味ない」とか「本を読むより人に会え」という声も聞きます。

 

 

確かに「本を読む」ってのは、どこか消極的な姿勢み思えます。人に会うよりかは勇気が必要ないでしょう。誰でもできます。相手の時間を奪ったりすることもないんで、相手に対する後ろめたさなんかもありません。そもそも読書は一人でするものなので、ダイレクトさがないんだと思います。

 

 

ですが私としては、やはりそこで読書を信じたい。もちろん、人によって違うことは前提です。読書が合っている人もいるだろうし、読書よりも人に直接会うことが合っている人もいるだろうし。目の前に人がいて、その人の生の声で語りかけられる人に会うことと比べると、読書は具体的でないのでしょう。

 

 

ですが、読書には読書の世界があるんです。紙のページに羅列された日本語。そこに広がる、色とりどりの世界。一見、白色の紙に黒色のインクで文字が記載されただけ、のようにも思えます。ですがその光景を、目を通して脳がインプットした際、「紙とインク」以上の世界が見えるようになるんです。

 

 

文字が持つ表現、言葉が持つ表現、文章が持つ表現、それらがお互いに主張し合って、奥深いメッセージを読む者に投げかけてくれるんです。その意味で、日本語は素晴らしいですね。漢字があって、ひらがながあって、カタカナもあります。

 

 

読む以前、文字を見た瞬間に、それらがメッセージとしてエネルギーを読者に与えてくれます。ページを開くと飛び込んでくる文字。漢字がこの辺にあって、ひらがなもこんな風に使われていて、カタカナもこの辺に使われている。そこからまずは印象を読み取れます。で、そこから読んでいくんです。この漢字、ひらがな、カタカナの三つにも別れているっていうのが、日本語の奥深さを出しているんでしょう。本は素晴らしいですね。

 

 

で、この本に載っていた言葉を一つ紹介すると、「資格を取ることを考えるな」というのを一つ紹介します。うろ覚えの言葉なので、正確ではないですが「資格を取ることを考えるな」という類のことが言われていました。

 

 

私も共感するんですが、資格って「逃げ」だと思うんです。「お墨付きをもらおう」みたいな。「資格を出している団体の後ろ盾をもらおう」みたいな。

 

 

確かに、特定の資格を持っていなければできないことっていうのはあるのかもしれません。特定の資格がなければ行くことができない場所っていうのもあるでしょうし、特定の資格がなければ見えない世界ってのはあるのかもしれません。

 

 

ですが、そういうのって大したことないです。資格があって初めてできること、資格があって初めて行くことができる場所、資格があって初めて見ることができる世界、そんなものに、大きな価値はありません。

 

 

同じことをするにしても、同じ場所に行くにしても、同じ世界を見るにしても、資格なしで達成した方がいいはずです。例えば医者は資格がなければできない仕事です。ですけど、同じ人助けだったら、医者以外にも方法があります。それは、既存の確立された道である「医者」よりも、新しくアイディアを出して、そこから人助けをしていった方が、価値があるはずです。

 

 

医者になったって、「しがらみ」ががたくさんある事は簡単に想像できます。「当初やりたいと思っていたことと違っていた」とか「無駄と思えることがたくさんある」とか、そんな風に官僚的なんだと思います。結局は。まあ、あくまで「医者」っていうのは例えなんですがね。

 

 

だから、資格は必要ないってことです。わざわざ資格を取ろうって思うほどの考えがあるなら、そこで官僚的な組織のお墨付きをもらうこともないでしょう。前に進もうって思う人が、わざわざ団体のsお墨付きをもらうってのも、後退してると思うんです。「資格」は必要ありません。資格を取ることは考えなくていいんです。

 


 

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