結婚とは運命の出会いではなく、ただの決意である

2019.11.07 (木)

いつの時代になっても結婚というのはめでたい……イメージである。「結婚」が直で「幸せになる」とか「人生のゴールである」なんて誰も思ってはいないだろうに、それでも「結婚します」とか「結婚しました」という報告を受けると、「『おめでとう』と言わなければならないんだな」とか「とりあえず祝福する雰囲気をださないとな」という気持ちに襲われる。まだまだ「結婚」とは祝福のイメージでなければならないし、それに対しては「おめでたい」という気持ちを発しなければならないものなのだ。

 

 

聖域である。けっして汚してはいけない場所。血で血を洗うような血みどろの戦争をしていても、そこでだけは殺し合いをしてはいけないように。「人生は楽なもんじゃないよ」「人生にゴールなんてなく、死ぬまで苦労の連続だよ」とわかってはいても、結婚に対しては「よかったね、おめでとう」なのである。

 

 

生涯において、一人の相手にだけ気持ちを寄せることは、普通にしていてはできない。だってそうだろう。たとえ恋人がいても、結婚していても、街を歩いて魅力的な異性にであうことは多分にあるはずだ。カフェでコーヒーを飲んでいて、たまたま隣りに座った人が魅力的な異性であることはあるだろうし。本屋で本を選んでいて、たまたまソコの店員さんが魅力的な異性である可能性だってある。

 

 

結婚とは、決して「出会い」ではないのだ。結婚とは、「結婚するに足る相手と出会うこと」ではないのだ。結婚をただの出会いと捉えてしまうと、その後で普通に生きることになってしまう。普通にいきるとどうなるか。たまたま街なかであった異性に対して「魅力的だ」と思うことを否定してしまう。「これではダメだ」とか「こんな浮気じみたことは良くない」と、恋人や結婚相手よりも魅力的に写る異性を否定してしまう。これは、結婚を出会いだと思っているからだ。だから、「まだいい相手と出会っていない」とか「出会った相手が悪かった」とか「結婚した相手よりもいい相手と出会った」とか、そんな言葉が出てくるのだ。

 

 

結婚とは、出会いではない。いい相手と出会ったから結婚するのではないし、結婚するに足る相手と出会ったから結婚するのではない。極論をいってしまえば、おそらく結婚相手なぞ誰でもいいのだ。結婚する「相手」というのは、誰でもいい。結婚する際に重要なのは、相手ではない。「『誰』と結婚するか」が重要なのではない。重要なのは、自分の内面だ。誓いをどれだけ守れるか。二人の幸せをどれだけ、いつまで目指していけるのか。そんなところだろう。

 

 

私の近くにもまだ結婚していない人がいる。決してその人を悪く言うつもりはないし、前提として結婚の良し悪しは考えないが、もしも結婚していないのであれば、それは出会いがまだないのではなく、決意をしていないだけなのだ。本来の意味で言えば、誰とでもできるのだろう。職場のひと、隣に住んでいる人、今日目の前に表れた人。誰でもいいのだ。

 

 

ただまあ、それが難しいのも事実だ。なかなか決意が続くものではない。二人の幸せを目指すことを、いつもいつも目指していられるかというと、そうではない。人間だから、モチベーションの上向きや下向きなんてのはあるものだ。だから、もしかしたら結婚という制度がもう古いのかもしれない。誰とでも、何回でも結婚できる、という制度を作ってしまえば、案外うまくいくのかもしれない。少子化も解消できるかも。あるいは、「結婚」という概念を変えなければならない時代なのかも。「結ばれる」とか「親しい関係になる」というのを、もっとフランクで曖昧なものにしてはどうだろう。たとえば、誰かと恋人関係になることを「付き合う」とか「恋人関係になる」などと具体的に規定せず、友達と遊びに行く程度のことにしてしまうのだ。明日も同じ友達と遊ぶかもしれないし、明後日は違う友達と遊ぶかもしれないし。今日遊んだ友達と、明日も明後日も同じように遊ばなければならない、なんてことはない。遊びの仕方も流動的でいい。サッカーをしてもいいし、カラオケに行ってもいいし、一日中本を読んでいてもいい。「これをしなければならない」とか「あれをしなければならない」というものを壊せばいいのだ。そうすれば、時代に合った結婚感が根付くのではないか。現代は、色々な人と出会うし、色々な人と出会って様々な刺激をもらったほうがいい時代だ。最終的に一人を選ぶ、というのを止めてみるのもいいかもしれない。

 

 

そうでなければ、あくまでも結婚という制度を残すのであれば、結婚という制度に引かれるのであれば、結婚を出会いとは考えないことだ。出会ってからが難しいのだ。出会う相手は誰でもいいのだ。二人の幸せをどれだけ守っていられるか。いつまで信じていけるか。それが試されているのである。結婚は、決して祝福ではないし、おめでとうという雰囲気だけのものではない。これからの決意を試されるという厳しい制度なのだ。

 


 

 

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