子どもの蹴ったり叩いたりの暴力が気になるなら

2019.09.29 (日)

普段、子どもに対して「そんなことを言った覚えはない」などと言っていないだろうか。子どもがする暴力的な行為や、粗暴な言葉遣い。それに対して、「自分はそんな言葉遣いはしない」とか「自分はそんな行動を教えた覚えはない」などと言っていないだろうか。子供の暴力的な行動や粗暴な言葉遣いに対して、「いったい、どこからそんなものを覚えてくるのか」とか「誰の真似をして、こんな暴力的になったんだろう」と不思議に思っていないだろうか。

 

 

まず伝えたいのは、それは間違いなく、子どもの目の前にいる「あなた」から子どもに伝えられたものだ。「どこかの誰か」なのではない。「今、子どもの目の前にいるあなた」なのである。でも、あなた自身は「そんなことはない。自分はそんな暴力的な行動や粗暴な言動なんて教えたことはない。現に、そんな行動や言葉遣いを、自分はしていないし」と思うかもしれない。「子どもが真似をするには、子どもの目の前でその行動や言葉遣いをしなければならない。そうでなければ子どもは真似をすることなどできない。自分はそんな行動や言葉遣いをしていないので、自分ではない」と思うかもしれない。

 

 

私から言わせれば、それは「具体にとらわれている」ということになる。実際に目に見える、実際に手に触れる、そんなものだけを見ているのではないか。世の中には具体と抽象という層がある。万物は抽象度で分けることができる。この抽象度の両極にあるのが、具体と抽象なのだ。抽象度が上がれば(具体度が下がれば)、抽象的になるし、抽象度が下がれば(具体度が上がれば)、具体的になる。

 

 

具体的とは、分かりやすくて、はっきりしていて、現実的で、細かい、などの特徴がある。抽象的とは、分かりにくくて、もやもやしていて、非現実的で、大雑把、などの特徴がある。我々は、社会の中で生きていると、ついつい具体的なものにとらわれてしまいがちであるが、具体的と同じくらいに目を向けなければならないのだ、抽象的なものにも。どっちも大事なのであるが、具体的なものの方に目をとらわれがちな分、抽象的な方に余計に意識を持たなければならないかもしれない。

 

 

さて。あなたの子どもが暴力的な行為をしたり、粗暴な言葉遣いをしたり。そんなことをしていても、あなたは「自分はそんなことをしていません。だから、子どもは私を真似したのではありません。だから、責任は私以外にあります」などと思っている。

 

 

それでは具体的なものしか見ていない。具体にとらわれている、と言える。子どもというのは、雰囲気を真似るのだ。具体的な行動や個々の言葉遣いではなくて、もっと抽象的な全体的な雰囲気を真似るのだ。もしあなたが具体的に暴力的な行為や粗暴な言葉遣いをしていない、と言っても、暴力的な雰囲気や粗暴な気分だとしたらどうだろう。子どもは真似てしまわないだろうか。

 

 

「実際にそんな行動はしていません」「現実的にそんな言葉遣いはしていません」とは言っても、イライラや怒りの感情を、子どもの前で持ったことがあるのではないだろうか。子育てとはストレス行為だ。イライラしない人は、怒りっぽくならない人など絶対にいない。どんなに「自分は子どもが好き」「自分は子育てを楽しんでいる」という人だって、ストレスなのだ。子育てとは、自分の自由を削る行為なのだから、ストレス以外の何物でもない。自分の自由を削られて、ストレスを感じない人はいないだろう。子育てにおいて、ストレスはどの親でも感じるものなのだ。

 

 

そんなイライラや怒った気持ちを、子どもに見透かされているのだ。子どもは親の、そんなイライラや怒った気持ちを見て、自分でそれを表現するようになる。真似るのだ。具体的な親の行動や言葉遣いを真似るのではなく、イライラや怒った気持ちのような抽象的な雰囲気を真似るのだ。

 

 

だから、いくら「自分はそんな行動をしていない」とか「自分はそんな言葉遣いをしていない」と言ったところで、子どもの暴力的な行為や粗暴な言葉遣いが、自分以外の他の人間の責任になるはずがない。子どもの暴力的な行為や粗暴な言葉遣いは、他の誰でもない、やはり親の責任なのだ。とは言っても、私は「だから責任を取れ」と言っているのではない。ただただ、自覚したほうがいい、と言っているのだ。先ほども書いたが、子育てはストレス行為だ。ストレスを受けて当然だし、子どもの前でイライラしたり怒った気持ちになるのは仕方のないことなのだ。

 

 

それを自覚することが大事なのだ。誰の責任でもない。自分以外の他の人間が何かを改めるべきものでもない。責任は親だろうし、親自身が、自分を変えていかなければならないのだ。そのためのはじめの一歩は、自覚することだろう。自分のイライラや怒った気持ちが、子供から真似られているという認識である。子どもが真似るのは、親の具体的な行動や言葉遣いだけではない。もっと抽象的な、イライラや怒った気持ちを真似るのだ。だから、あなたが「自分には責任がない」と言っても、それは間違いなのだ。なぜなら、雰囲気を真似た子どもがする行動は、真似た雰囲気に引っ張られるからだ。

 


 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]


 

プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。

 

非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。

 

頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 子どもの蹴ったり叩いたりの暴力が気になるなら

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP