子どもの泣き声では無く、街中で気になるのは親の怒声である。
街中の静かな空気をつんざく、子どもの泣き声。幼児が駄々をこねる大きな声。公共の場で大声で騒ぎながら遊ぶ子どもの声。どうしても気になりますよね。本を読んでいても「あ、泣いてる。」と思って一瞬、集中が切れて顔を上げたりします。
ですが大丈夫。世の中のお父さん、お母さんが泣かせようと思って子どもを泣かせているわけではないこと。公共の場では子どもを静かにさせようと努力していること。「何で泣くんだよ。」と思いつつ、周りの目を気にしながら子どもを静かにさせようとしていること。苦労を察します。
子どもにとっても、大声を上げたくなる気持ちわかります。欲しいものがあっても手に入れられない気持ち。親の買い物に付き合うのに飽きてきて、静かにする気持ちが薄れて騒ぎたくなる気持ち。子どもにとっても、いろいろと事情があるのでしょう。
子どもが騒いだいり、大声を出すまでは、周囲もこられられます。しかし、周囲にいる人の心に波風が立ってしまうとしたら、その後です。もしその後、親御さんが子どもをイライラしながら注意したりすると、親御さんの声の方が、気になってしまいます。
イライラは人に移りますが、子どもの騒ぎ声や泣き声であれば、こちらは大人ですから耐えられます。たとえ子どもの泣き声や騒ぎ声を聞いても、「子どもだねぇ。」で終わります。しかし、大人のイライラは簡単に移ってしまいます。大人のイライラした声は、周囲にいる人の心に波風を立ててしまいます。聞いていて心地いいものでは決してありません。
大人のイライラした怒声は、子どもに良くないのはもちろん、周囲の人にも良くありません。寛容を持って子どもを注意したいですね。
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