不審者扱いされても、弱者に声をかけるべき理由(1)
優しさや親切心のつもりが、相手や周囲に誤解され、不審者扱いされるケースがあります。
「公園で子どもに声をかけただけで不審者扱いされた。」
「道端でうずくまっている女性がいたので、声をかけたら、逃げて行かた。」
「防犯ベルを鳴らしてしまった子どもに声をかけたら、周りから変な目でみられた。」
ニュースや新聞では毎日、凶悪犯罪について報道するので、私たちの関心は「どうやったら犯罪を未然に防げるか」や「どうやったら犯罪被害にあわないか」に向いてしまいます。だから、世間では「犯罪被害に遭わないため、何をしているのか、何を考えているのかわからない人には近づかない方がいい」と考える人が多いのでしょう。その結果、親切心で近づいてくる人にも、懐疑心を持つ人が増えているのだと思います。
声をかける側から見たら、「ちょっと失礼なんじゃないの?」とか「疑心暗鬼になりすぎでしょ。」とか「それじゃ声もかけられない」と思ってしまいます。親切心で声をかけたのに、犯罪者として疑われたのでは、確かに面白くありません。
しかし、それでも弱者には積極的に声をかけるべきです。
確かに、不審者として警察に通報されるケースがあるかもしれません。110番通報を受けて、警察官が現場に来るかもしれません。パトカーが来るかもしれません。制服を着た警察官数名に囲まれて、職務質問されるかもしれません。現場に来たパトカーは赤色灯を回しており、人目をひく中で職務質問されるかもしれません。
ですが、我々は声をかけるべきです。
関連する投稿
- 子育てとは「シュレディンガーの猫」のようなものである
- マイクラを活かすのは文章表現だ。自分の好きを人生に繋げる接着剤
- 「テニスの王子様」越前南次郎。優しさとは距離をとることだ。
- 育児を楽にするには距離を置くことであって、そのためには書くことだ
- 子どもに与えたい、多様化の時代に必要な能力とは
現在の記事: 不審者扱いされても、弱者に声をかけるべき理由(1)