サスペンドされたっきり、それが降ろされることはない〜こころ

2020.08.06 (木)

 

サスペンドされたっきり、それが降ろされることはない

ぶつ切り感が半端ない。

 

 

始めも終わりも中途半端なところでブツリと切られて、ストーリーを中途半端にして本の中に閉じ込めている感じ。

 

 

冒頭も急に「先生」が出てきた。結局は最後まで名前を明かさないまま(というかほとんど全員の名前が出てこない)進んでいく。「私はその人を常に先生と呼んでいた」から始まるのだけど、突然に「先生」という人物が出てきて、しかもその先生を読者もあらかじめ知っている風な感じで物語が始まる。

 

 

この辺が、夏目漱石のうまさなのかもしれない。初めから説明していっていたら、読者に「先生」の存在を意識させることができない。読者に「途中から話に入ってきた」ような感じを与えるから、読者は「早く話に追いつかなきゃ」と思い、「先生とは誰なのか」「先生とはどんな人物なのか」と考えて頭の中を回転させる。結果的に、読者には「先生」に対する意識だけが残る。ぶつ切りのうまさだ。

 

 

最後もぶつ切りで終わる。読者の「この後どうなるんだろう」感はほったらかしだ。サスペンドだけが残っている。「先生って結局死んだの?」「私のお父さんって結局はどうなったの?」「先生の妻はどうなってるの?」「私はどんな気持ちで先生の手紙を読んでいるの?」「私は先生の手紙を読み終わった後でどうなるの?」

 

 

すべての疑問は解決しないまま。宙吊りにしておいて、降ろさずに宙吊りのままに終わってしまった。もちろん、「Kが自殺した」ということは書いてあったので、Kに対するサスペンドは降ろされたと言える。けれど、文中に引っ掛けられたサスペンドはそれだけではなかった。数々の疑問があったはずだ。

 

 

それらの疑問を解消しないままに終わってしまった。結果、読者の心に残るのは現在進行系の心配である。文中で「どうなってるの?」に対して結果が知らせられたり、文中で「どうなってる?」という疑問が解決されるから、安心して本を置くことができる。本を終わらすことができる。疑問が解消されないままでは、私や先生や私の妻や私のお父さんに対する心配が終わらない。

 

 

読み終わって本を置いた今現在も、どこかでこれらの人物が苦しんでいるような感覚である。私のお父さんは今にも死ぬかもしれないから、僕も「どうしたらいいんだろう」とオロオロするし。先生が東京のどこかで今にも自殺してしまうかもしれないから、僕もそわそわだし。私の妻もどうしているかわからないから、僕もなんだか不安だし。東京行きの列車に飛び乗った私も無事に東京に来れるかどうか不安で、今現在も急いで東京に向かっているような、そんな錯覚に陥ってしまう。

 

 

リアルなのだ。すべてがリアルに感じる。魅力的な登場人物だから、現にありそうな若者たちの三角関係だから、著者の書き方がうまいから、ぶつ切りで始まってぶつ切りで終わったから。どれが根本の理由なのか、あるいはどれもが理由としては並列になっているのか、本当のところはわからない。すべての理由が絡み合ったゆえのリアル感なのだろう。

 

 

こういう小説って品がるよね

夏目漱石の小説だからなのか、明治の文豪の小説だからなのか、理由はわからないけれど、この物語には品がある。今風の若者男女の「イェーイ!」的なノリではない。昔の日本には存在していたであろう、奥ゆかしさのような、控えめで慎ましい美しさだ。その品が、読後にどこかノスタルジーを感じさせる。

 

 

作中では先生が手紙の中で自分を卑下していてへりくだっているが、現代風の解釈からすると、全然そんなことはない。Kに対する嫉妬も、Kに先じて「お嬢さんをください」と言ったことも、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の話も、どれも普通である。現代人なら眉1つ動かさずに恋敵を策略にはめるだろう。ハメておいて、へりくだることは無い。

 

 

先生はKを策略にはめておいて、そんな自分を「狡猾だ」と評しているから、そんな先生の心に奥ゆかしさが生まれて、品のある美しさを読者が感じるのだと思う。

 

 

読書はタイミングであって、10代に読んだから良いというものでもないだろう

僕はこの作品を40歳になってから初めて読んだ。おそらく読んだタイミングとしては遅い方なのだとは思うけれど、それがもったいないことだとは思わない。よく「10代の多感な時期に読めばよかった」とか「10代の多感な時期に読んでおいてよかった」と言っている人がいるが、こういう古典文学を10代に読んだから意味あるのかというと決してそうではない。

 

 

たしかに僕は10代の時に古典文学を読まずに別のことをしていたけれど、それが意味のないことかと言うと決してそうは思わない。僕が10代の多感な時していたことは、あれはあれで意味あることで、僕の人生に大きな意味を与えてくれた。

 

 

僕は今、どちらかというと本を読んでいる方だとは思う。もちろん、読書や本の世界も奥が深く、人間離れして多読な人はたくさんいるので、それに比べれば僕など大したものではないけれど、それでも一般的なレベルよりは読んでいる方であろう。

 

 

そんな僕がいうのだけれど、読書はタイミングなのだ。読めるタイミングと読めないタイミングがある。面白く思えるタイミングと、切なく感じるタイミングがある。深みを感じるタイミングと、浅くしか読めないタイミングがある。

 

 

以前、「30代になって初めてジブリ作品を見た」というブログ記事を読んだけれど、僕は「それはそれで面白いな」と思った。僕はジブリ作品を小学生の時に見て大いに感動したけれど、あの感動をおとなになってから得られるのかと思うと、羨ましくさえ思う。

 

 

‥と言っても、30代になってジブリ作品を見た人は、感動ではなく違和感しか持たなかったという。得るのが感動なのか、違和感なのか、どっちがいいということはないであろう。違和感を得た人が感動を得るのが難しいように、感動を得た人が違和感を得るのは難しいのだ。

 

 

まあ、以前から気になっていた「こころ」を読めてよかった。夏目漱石に対するハードルが消えたので、次の作品にいきたい。

 

 

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