子どもが言葉を覚えていくことの悪について

2018.11.28 (水)

子どもが言葉を覚えていく過程ってどう思います? うれしいですよね。 自分と意思疎通できなかった赤ちゃんが、徐々に自分と意思疎通をできるようになっていく。投げかけた言葉に反応して、赤ちゃんが笑う、怒る、喜ぶ。赤ちゃんが言葉を考える表情、言葉に反応する表情、愛らしいです。

 

 

赤ちゃんより少し大きくなって小学生くらいはどうでしょう。言葉を覚えていく過程はやっぱりうれしいですうよね。簡単な言葉しか話せなかった子どもが、勉強したり環境から学んで、難しい言葉を覚えていく。幼かった子どもが、自分と対等な言葉を話せるようになる。頼もしいですよね。

 

 

でも、物事には善悪やメリットデメリットが共存しています。それは言葉を覚えることにも同じことが言えます。言葉を覚えることのデメリットって何でしょうか。一見うれしい事ばかりのように思えます。本当に言葉を覚えることに、デメリットってあるんでしょうか。

 

 

言葉を覚えることのデメリットは「イメージが具体化される」ってことです。「型にはまる」「固定化される」「一方向の見方しかできなくなる」って言ってもいいと思います。言葉を覚えることによって、頭の中のイメージが、固まってしまうんです。

 

 

言葉を話すっていうことは、頭の中のイメージを外に出すことなんですが、外に出す際にどうしても通らなければならないのが具体化です。外に出す方法は色々とあるんですが、それを一番他人に伝えやすいと思われる「言葉にする」っていう方法を選ぶと、途端に具体化されるんです。

 

 

言葉にする以前は、頭の中でイメージとしてあったものです。ふわふわユラユラしながら煙のように漂っていた、ただのイメージです。それを他人に伝えようとして言葉にすると、どうしてもそのイメージは具体化されて、一方向の捉え方しかできなくなってしまうんです。

 

 

例えば、私がお腹が減っていたとして、この空腹を改善するために何か食べ物を食べたいとします。で、少し甘いのが欲しかったので「プリンを買ってきて」と、あなたに頼んだとします。おそらく、優しいあなたはプリンを買ってくるでしょう。

 

 

ですが、私が「プリン」と言ったために、プリンに限定してしまったのです。たとえプリンを特別に食べたいわけでもないのに、甘いものの代表として「プリン」と言ったために、頭の中のイメージをプリンに固めてしまったのです。

 

 

固定化されないように、「プリン」と言わなければよかったかもしれない。だったら「甘いもの」と言えばよかったのでしょうか。でも「甘いもの」と言ってしまえば、ここでも「甘いもの」「食べ物」に限定されてしまいます。

 

 

そもそも、食べ物でなくともよかったのかもしれません。空腹を改善するためには、食べ物を食べることのほかに、「空腹を忘れる」という方法もあります。だったら「食べ物」という限定すらいらなかったのでしょう。

 

 

これを繰り返していくと、「言葉自体が具体化」であることに気づきます。言葉にすることは、頭の中の形のないものを型にはめることなんでしょう。頭の中の際限のないものに枠をはめることなんでしょう。頭の中の取り留めのないものを固定化することなんでしょう。

 

 

例えば「垂範(すいはん)」という言葉があります。おそらく、それなりに難しい言葉なのだと思います。日常生活の中ではほとんど使いませんよね、垂範なんて。まあ警察の社会では良く出てくる言葉なんですけど。

 

 

模範的であって、他の人よりも先にすることであって、先頭に立つっていう意味です。この言葉を覚えて使うことによって、頭の中にあったイメージが「垂範」というものに固定化されてしまうんです。

 

 

確かに使い勝手はいいのでしょう。頭の中にあったイメージを、簡単に他人に伝えらるようになったのでしょう。「人より先にすることで、大勢の先頭に立つことで・・」なんて回りくどい言い方をしなくて済みます。

 

 

ですが、頭の中のイメージと「垂範」という言葉がぴったりと一致することは決してありません。限りなくイメージどおりの言葉なのかもしれませんが、過不足なくイメージを表現できることはないでしょう。言葉を使うことによって、頭の中のイメージが具体化されてしまうんです。

 

 

そう考えると、言葉以外の伝達手段っていうのは、具体化の被害を最小限に抑える方法なのかもしれません。

 

 

例えば写真です。これっていうのは言葉で伝えるよりもイメージをできるだけそのままにして伝えています。もちろん写真っていう枠ではめて、そこに見える風景なり人物っていうのは一方向からしか見えないものです。ですので具体化を完全に避けることができているわけではありません。

 

 

ですが言葉よりもよっぽどイメージを伝えることができるのではないでしょうか。雰囲気というものです。撮影した写真には、絵という要素よりも雰囲気という要素が随分と多く入っています。それを容易に伝えられる、ということです。

 

 

写真も見ようによっては文章よりも具体的だし、見ようによっては文章よりも抽象的です。何を見るかによって違うのでしょう。同じ写真を見ていても、その表面だけど見れば具体的ですが、奥にあるメッセージや雰囲気を読み取ることは抽象的です。

 

 

そう言えば文章に「行間を読む」っていう言葉がありますが、それっていうのは「抽象を見る」っていうことなんでしょう。文章の表面だけを読まず、書かれてあることをそのまま受け取らず。その奥にあるメッセージ、その懐にある本質、具体的な文章の向こう側にある抽象的な本音。そんな抽象を見ようとすることが「行間を読む」ってことなんでしょう。

 


 

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