子どもの非行を防ぐには、ローンを組むのをやめよう

2019.11.24 (日)

子どもの非行を防ぐには、余裕が必要である。時間的な余裕、経済的な余裕。切り口次第で色々な種類の余裕があるが、とりわけ経済的な余裕は大切である。確かに経済的な余裕とは「気持ち次第でどうにでもなる」ともいえる。別にお金持ちだから、お金に余裕があるから子どもが非行に走らないのか、と言えば、そうではない。お金に余裕があったからといって、子どもが非行に走る家庭は多くある。お金がないからといって貧しいのかというと、そうではない。人はどの経済状態でも幸せを感じることができるだろう。認識次第だし、気持ち次第、ではある。

 

 

けれど、経済的な事情は、生活の土台にもなっている。これは理想論ではなく、現実問題として、である。確かに人生にお金は必要ではないのだが、「そうは言っても」なのである。お金がすべてではないし、お金がかからない生活が理想ではある。けれど、実際に今日も明日も食べるものは必要だし、寝る場所も必要である。それらを確保するにはお金が必要という、現実があるのだ。なので経済的に無理をしないことが、お金を作るうえで大切になるだろう。

 

 

できるだけローンを組まないことだ。ローンに対する疑問が、以前よりは社会に広まってきているとはいえ、まだまだ若者の間にはローンを組むことに抵抗がない人が多いように思う。家や車をローンで買うことに抵抗がない人が多いのだ。それだけ余裕があるなら良い。お金が有り余って、何千万円というローンを組んだところで、「いざとなったらすぐに支払える」のならまだいい。が、そうでないのなら、ローンは組まないことだ。

 

 

どうやら社会人になったら、家族を持ったら、一人前と見なされるためには、「家を買う」「家を持つ」ことが必要だと考えている若者が多いのではないか。というか、考えていないのだろう。社会人という入り口の向こう側に「家を持つ」「家を買う」という道筋が、いつの間にか頭の中に出来上がっているのではないか。なんとなく、社会人になったら、家や車をローンで買うものだというモヤッとしたものが頭の中にあるのではないか。それが不思議でならない。どうしてそこまでして車や家を買いたがるのか。

 

 

ローンは未来を縛るものである。行きたくてもそっちの方向にいけなくなる。手足を縛られるようなものだ。縛られるときはなんでもなくても、縛られているうちに顔をかきたくもなるだろう。足を伸ばしたくもなるだろう。腕を動かしたくもなるだろう。そんな時にロープで手足を縛られていたらどうだろう。精神的に、すごく不安定にならないだろうか。精神的に不安定になって、とてもとても自分以外の、例えば子どものことまでをもまともに考える余裕なんてなくなるのではないだろうか。

 

 

ローンを組むのは止めたほうが良い。「自分への投資だ」とか綺麗な言葉で飾ろうとしても、所詮は借金である。自分を縛るコトに違いはない。世の中を見て、子どもというのは輝いていないだろうか。子どもを見ていて、「羨ましい」と思うことは、どんな大人にもあることだと思う。それは、可能性を感じるからだ。「まだ生まれて間もない」「この先にも自分よりも時間が残されている」という可能性。それを子どもに感じるから、子どもというのは輝いて見えるし、「羨ましい」と思うものなのだ。「可能性がある」というのは、それほど圧倒的な力をもつものなのだ。ローンを組むとは、可能性を潰すことである。可能性にフタをすることである。可能性を縛って補足してしまうものである。ローンを組む前に、疑問を直視して考えたほうが良い。ローンに対して、誰でもモヤッとしたモノは感じるだろう。「これはちょっと危ないんじゃないか」「これを組んだら自由がなるなるだろう」という不安を、誰もが持つだろう。そんな不安や疑問を直視するのだ。「誰でもやっているから」という理由だけで受け入れてしまっては、あまりにもバカすぎる。

 

 

余裕を持つとは、可能性を取っておくことなのだろう。余裕のある人間が持つ魅力は、子どもが持つ魅力に似ている。それは、可能性を持っている、ということなのだろう。無駄に、考えなしに、ローンを組んだりしない。今の日本では、ほぼ「家を買う=ローンを組む」ということなので、経済的に余裕をもつとは、「家を買わない」ということなのだろう。さらに言えば、子どもが非行に走るのを防ぐとは、家を買わないことでもあるのだろう。子どもが非行に走るのを防ぐことと、家を買わないことは同じである。そこにある共通点は、「余裕をもつ」ということである。

 

 

ローンを組みたくなったら考えることだ。というか、普段からちょっとした疑問や不安を見過ごしたりせずに、直視して考える癖をつけておくといいだろう。どっちにでもいけるような、どこにボールが飛んできても対応できるような余裕をもつこと。それは、可能性が広がっていることでもある。名プレーヤーを見て「隙がない」と思うような、そんな自然体・ニュートラル状態は、可能性が広がっているから「隙がない」のだ。自分を縛らないこと。可能性をもっておくこと。ローンを組まないこと。それが、余裕をもっておくことであり、子どもを非行に走らせないことなのだ。

 

 

 

 


 

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