目の前の石を取り除くような〜なぜあなたは「黒い服」を着るのか
世の中には正論があふれている。
「自分らしさを見つけよう」
「周りなんか気にしないで、本来の自分に目を向けよう」
「自分のやりたいことをやろう」
「自分の心にフタをするのは、もうやめよう」
どれも最近、よく聞く言葉である。これらの言葉は正しいのだろう。生きづらさを感じている世の中の人にとって、これらの言葉は、行き先を照らす指針になるのかもしれない。
確かに、自分らしさを見つけることは大切だ。自分らしさは武器になる。何億という人が世の中にいる中で、それらの群衆の中に埋もれず、自分を見つけてもらうには、自分にしかできない自分らしさを見つけて、他の誰にも真似できない自分らしさを前面に出すことが必要なのだ。
確かに、周りを気にしないことは大切だ。周りを気にしてしまうと、どうしても自分らしさを出すことができない。周囲の人の目を気にしてしまって、目立つことを恐れてしまうのだ。「こんな事をしたら恥ずかしいな」とか「こんな事をすれば笑われるんじゃないか」というネガティブな悪循環に陥ってしまう。
確かに、自分がやりたいことをやることは大切だ。本来、人は自分がやりたいことをやることで、100パーセントの力を発揮できるのだろう。人から勧められた、人から押し付けられた、人から強要された事をやっていては、100パーセントの力なんて出せない。10パーセントも出せないのではないか。自分が「やりたい」と思うものに力を注ぐからこそ、上昇のスパイラルに乗ることができるのだ。
確かに、自分の心にフタをしないことは大切だ。自分の心にフタをしていては、顔を上げて周りを見ることができない。世の中を見渡せないし、視界が狭くなる。そんな狭い視野で何かしら行動したところで、狭い範囲をぐるぐる回ることしかできないのではないか。自分の心にフタをせず、自分の本心に向き合うからこそ、楽しさや喜びの感情とともに生活できるのだ。広い範囲を動くことができるようになる。
けれど、これらの言葉を聞いたからといって、一体、何人の人の人生が変わるのだろう。一体、どれだけの人が、これらの言葉を聞いて生活を変える事ができるのだろう。正論というのは、ヒトの人生を変える可能性を秘めている。これらの正論を実践すれば、おそらくヒトの人生というのは変わり、運気は上向き、日々の生活に活気とやる気があふれることは間違いない。
が、正論は空虚なのだ。間違っていないのが正論であり、物事の道理にかなっているのが正論なのではあるのだが、それと同時に、なかなか芯にまで響かないのが正論なのだ。社会では誰もが悩んでいる。日々の生活に追われ、毎日の仕事に疲れ、生活費や教育費に困っている。それらの人に対して、ただこれらの正論を述べたところで、意味がないのだ。すぐに感情的になってしまって悩んでいる人に対して「怒らない方がいいですよ」と言ったり、お金がなくて困っている人に対して「お金があると楽ですよ」と教えたり、病気で苦しんでいる人に対して「健康だと日々が楽しいですよ」と諭したり。そんな、届きもしないことを、ただ言っているに過ぎないのだ。
ではどうするか。どうすれば正論を相手に届けられるのか。それは、相手の生活に応用できるように、具体化してやるしかない。ただ頭の上を過ぎていくような空虚な言葉でなく、今すぐにでも実践可能なアドバイスとして、言い換えなくてはならないのだ。日々の生活の身近な場面に当てはめるのだ。この、「相手にとって具体的なアドバイスに言い換えることができるか」「相手にとって、今すぐにでも実践可能であるか」という部分が、アドバイザーとしては腕の見せ所であり、アドバイザーとしての個性がでるところでもある。
正論は誰が言っても正論である。誰が考えても、考えた結果として空虚で抽象的な正論に至るのは間違いない。そんな中で、それをどうやって手に取れるものにするか、というところが、「実際にヒトの人生を変えられるかどうか」なのだろう。
洋服を選ぶとき、どうやって選んでいるだろうか。意識的にせよ無意識的にせよ、ついつい無難な洋服を選んではいないだろうか。着ていても変な目で見られないような洋服、一般的に「おかしい」と言われないような洋服、無難な色の洋服。そんな洋服を選んではいないだろうか。この本の著者が選んだ場面は、「洋服を選ぶとき」という誰でも経験がありそうな日常の場面であり、そのアドバイスが「黒い色の洋服を選ぶのはやめよう。黒色というのは無難な色だ。周りを気にして自分の心にフタをした、本来の自分とは正反対の選択である可能性がある」なのだ。
「自分らしさを見つけよう」
「周りなんか気にしないで、本来の自分に目を向けよう」
「自分のやりたいことをやろう」
「自分の心にフタをするのは、もうやめよう」
という正論のままなら、空虚で、とてもとても今すぐに出も実践可能なものとは思えない。が、「黒い色の服を選ぶのをやめよう」と言われた途端、それは今すぐにでも実践可能なアドバイスとなる。しかもこのアドバイスには、発した人間の個性が表れている。誰が今まで、選ぶ洋服の色を気にしたことがあっただろうか。誰が今まで、黒色の洋服を着ることに疑問を持っただろうか。明らかに盲点で、「どの色を選ぶかは人の自由、人それぞれ」と思って疑わなかったのではないか。
相手の人生を変える可能性のある、真に活用できるアドバイスとは、目の前の道路に転がっている石を取り除いてくれるような、身近な所に対して発せられるものなのだ。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルとしては、「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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