親はどこまで子どもに干渉するべきか

2020.06.18 (木)

親はどこまで子どもに干渉するべきなのか。

 

 

もしかして、「子どもに対して親は全面的に干渉するべきだ」なんて思っている親はいないだろうか。いるとしたら、僕としては「それは古い考えだ」と言わざるを得ない。

 

 

「身体的に未熟である子どもは精神的にもまだ未熟なので、物事を正しく考えることができない。だから、大人が子どもを正しい方向に進むように導いてやらなければならない」なんていう考えは、確かに正しい意見のように思える。けれど最近では親の子どもに対する干渉具合が後退していて、「干渉すべきでない」という意見が「干渉すべきだ」という意見をずいぶんと押しているように思える。

 

 

つまり、親の子どもに対する干渉は、先細り気味なのだ。

 

 

ホリエモンこと堀江貴文さんは、ずいぶん前から「親は子どもに干渉するべきではない。子どもなんて放おっておけばいい」ということをユーチューブなんかで言っている。

 

 

同じくユーチューブで社会経済なんかの動画を配信している白坂氏は、自身が心がけている子育てのポイントとして、「できるだけ子どもに干渉しないこと。未来がどうなるのかは誰にもわからないのだから、親が子どもに対して教えられることなんてない」と言っている。

 

 

これらの意見を聞くと、こう思う人がいるのではないか。すなわち「それは、ある程度子どもが大きくなってからで、自由奔放に育てる以前には厳しく育てる必要があるのではないか」と。「厳しく育ててから自由奔放に育てるのが順番であって、これを逆にしてはならない」と。

 

 

これに対しては、社会派ブロガー及び著者として活躍しているちきりんさんの意見がカウンターになる。彼女は、「独立した自分の意見を持つことは、最初が肝心だ」としている。最初に周りの人に従う習慣が身についてしまうと、後々になってからそれを覆して独立した考えを持つのは難しいのだ。

 

 

最初が肝心である。始めに頭に擦り込まれたものは、なかなかそれを外して考えることが難しくなる。たとえば、小さい頃から学校に当たり前のように通っている僕たちにとっては、生活とは学校とともにあった。そんな僕たちは、生活を学校から切り離して考えることがなかなかできない。生活を、学校という基準を元にして考えてしまう。

 

 

僕たちの周りにある自動車は、「4つのタイヤがついていて道路上を走るもの」が基本なので、自動車について考えようとしても、「4つのタイヤがついていて道路上を走るもの」から発想を飛躍して考えるのが難しい。最初に擦り込まれた「型」は、いつの間にか勝手に僕たちの思考を形作っていて、僕たちはそこの中でしか思考の羽を伸ばせなくなっている。

 

 

3三次元に生きている僕たち人間が、多次元空間を想像し難いように。時間と空間の中を生きている僕たちが、時間と空間が始まったとされる宇宙創生以前を想像しにくいように。

 

 

最初が肝心なのだ。もしも独立心を子どもに養いたいのなら、「後から‥」とか「大きくなって‥」では遅い。

 

 

とは言っても、0歳児から自由奔放に育てることができるのかというと、現実的にそんなこともできない。大人にとっては、時間も有限だし、お金だって有限だし、それに対して欲望は無限だ。

 

 

仕事に行く時間は決まっているので、いつまでもご飯を食べようとしない子どもに笑って付き合っていることはできない。食べ物やおもちゃなどは、汚されたら買い換えなくてはならないので、それらを子どもが汚すのを黙って見ているわけにはいかない。大人だって夜遅くなれば眠くなるし、夜中にビールを飲みながら映画を観たいという欲望があるので、いつまでも子どもを遊ばせておくわけにもいかない。

 

 

ではどうすればいいのか。どこまでが、大人が子ども対して干渉していい領域なのか。どこからが、子どもに任せておくべき領域なのか。答えを出すのは難しいが、一つ参考になる本があるとしたら、それにはJ・S・ミルの「自由論」があげられる。

 

 

J・S・ミルは、19世紀イギリスの哲学者・思想家・経済学者である。もちろん、この本は、子育て本ではない。親とこどもの立場から干渉領域を設定しているような本ではない。「社会的多数派から個人の自由を守るための境界線は、どこに設定されるべきか」を論じた本である。けれど、現代の「個人の自由と社会との関係」の土台となる内容である。

 

 

自由論では、「他者の生命や財産を侵害しない限り、各人は誰からも鑑賞されることなく、自らの意志のまま自由に行動する権利を有する」が基本原理として説かれている。そして、この基本原理を脅かす最大の敵は、「お前のために言ってるんだ」というパターナリズム(父権的干渉主義)だと言っている。

 

 

それは、絶対君主のように横暴に振る舞う、あからさまな姿かたちではない。パターナリズムは、あわよくば自分が正義であるかのように、いつの間にか干渉の度合いを伸ばしてくる。「自分は見方だよ」と言わんばかりに近寄ってきて、いつの間にか洗脳してしまう。

 

 

自由論で気をつけるべき「敵」だとされているパターナリズムはその名の通り、まさに子どもを持つ親にありがちな思考回路である。たとえ自分(親)にとって好都合な好き嫌いの問題であったとしても、「子どものため」だと称して子どもの権利に干渉してしまうのだ。

 

 

自由論を読むことで、改めて自分はパターナリズムに陥っていないかどうか、外から眺めることができるのではないか。パターナリズムは、子どもを愛するがゆえの陥りやすい干渉である。ぜひ本書を読んで、「子どもに対してどこまで干渉していいのか」を考える参考にしていただきたい。

 

 

 


 

 

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