優しさを育む鉄則! 線を引かないこと(その1)

2019.12.24 (火)

犯罪と非行を無くすには、優しさが必要である。犯罪と非行は自己中から生まれるものだからだ。社会の構成員一人ひとりが優しさを育むことができれば、犯罪と非行はなくなるのである。優しさとは何か、それは自己中から考えるとわかりやすい。自己中とは、頭が固いことである。我が強く、他の人が言うことや、やろうとしていることを認めない。例えば組織の上司がこれに当たるだろう。上司という存在は基本的に、部下に対してダメ出しをする。部下よりもで切る存在だから上司なのだから、上司たる所を見せたと思うのは、どんな上司にも当てはまるところだろう。少し極端だが、「そんな事をしていないで、オレの言うとおりにしろ」「お前の意見よりも、オレの意見の方が適切だ」というのが上司というものだ。上司を例えにしてみると、自己中とは、頭が固いこと、融通が効かないこと、であることが分かる。視野が狭く、自分以外の価値観を認めない状態である。

 

 

この「自己中とは頭が固いこと」であることを足場にすると、優しさとは自己中の対極なので、頭が柔らかいことである事がわかるだろう。優しさとは、仏様のような慈悲の心を持った徳の高い人なのではなく、物事を柔軟に考えられる頭のことをいうのだ。

 

 

物事を柔軟に考えられるとは、どういう考えのことか。私は、線を引かないことだと考えている。偏見、色眼鏡、バイアス、思い込み、これらから開放され、これらに囚われることなく物事を見られる視点である。

 

 

僕たち人間は、偏見を持たずには生きていけない。生きていると、必ず思い込みを持って物事を見るようになる。というのも、相手の心の中を読むことができないからだ。タマシイや意識を、他の人と交換することができれば違うのだろうが、そんな事はできない。僕たちは基本的に、自分しか考えることができないのである。「相手の身になって考えること」は必要だが、厳密な意味で「相手の身になって考える」ことはできないのである。ではどうするのか。「『相手の身になって……』なんてできねーよ」と開き直ればいいのか。いや、そうではない。「相手は自分とは違うことを考えているかもしれない」「自分以外の価値観が世の中にはあるのかもしれない」「自分が見えていない光景が、相手には見えているのかもしれない」と、自分の価値観、自分の視野、自分の見えている世界の限界と、その外側を常に意識しておく必要があるのだ。

 

 

それは、一歩引いて全体を見るように意識することでもある。自分の視野の外側に、自分が見えていない部分を予め想定しておくのだ。自分が見えている視野の裏側には、自分が見えていない部分があることを想像するのだ。そうすることで、自分に妥協すること無く、自分が見えている視界に満足すること無く、常に「もっと広い視野を」と、世界を広げようとする意識が働くはずだ。

 

 

自己中とは、「これはこうだ」という絶対的な確信を持つことだ。自分の考えに絶対的な確信をもつから、相手が考えることに最初から耳を傾けようとしないのだ。だから、優しい人間は、時に気弱で自身がないように見えるのだ。自分に絶対的な自身がない。だがこれは、何も悪いことばかりではない。自身のなさは人から利用されてしまうかのような性格だが、視野の広さを持っている、ということだ。というのも、相手が言っていることの可能性を排除すること無く、相手が言っている事を想定の中に置いているからだ。相手の立場、視線、考え、価値観を想像しようとするから、それらを想定の中に組み込もうとするから、自身がなくなるのだ。それはそうだろう。だって、自分のことと同じように、他の人のことを考えているのだ。自分だけが見えている人間と違い、自身だってなくなる。道が一本であればぐんぐん進めるのだが、複数になって分かれ道も出てくれば迷うことも出てくるだろう。それと同じである。視野が広いとは、他の人のことも考えるとは、複数の選択をもつことなのだ。

 

 

それは、線を引かないことに似ている。「これはこうだ」という一本の線を引いては、優しさは発揮できない。つねに可能性を広げて考える、他の人が考える可能性も含めてあらゆる可能性を視野に入れるのが、優しさなのだ。優しさを持つことができると、線は引けない。もしも線を引いたなら、「朝は◯時に起きたほうがいい」「進学は◯◯高校へした方がいい」「高判断するべきだ」と、ダメなことと良いことをしっかりと分けて考えてしまう。することとしないこと、良いことと悪いこと。これらを区別して考えてしまう。優しさとはあらゆる可能性(相手の考えも含めた)を考えることなのだから、線など引けない。することとしないこと、良いことと悪いこと、などの線など引けないのだ。

 

 

自分以外の価値観も含めたあらゆる可能性を想定に入れるのが、優しさなのであり、自分以外の価値観にも「それも『有り』かもね」と比重を置けること。それが優しさを持った人間の視点なのだ。

 

優しさを育む鉄則! 線を引かないこと(その2)

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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