優しさを育む鉄則! 線を引かないこと(その2)
ではどうすれば線を引かずに物事を見ることができるのか。
どうすれば見ている世界から線や区別がなくなるのか。それは、物事を抽象的に見ることだ。一つ一つを厳密に見るのではなく、ボウっとだいたいで見ることだ。たとえば、「車」というのがある。現代の車は細かく、小さいネジまで加えると、約3万点だと言われている。窓ガラスがあり、ボンネットがあり、ボディの下にはエンジンがあり、シリンダーがあり、ピストンがあり。だが、まとめてみれば、要は車である。一つ一つ具体的に細かく見ようとすると、線はどんどん増えていく。「これはエンジンだ」「これはステアリングだ」「これは燃料だ」と細かく見ていけば、どんどん細かくなっていって切りがない。が、一歩引いてまとめて見ると、つまりは車であることに変わりは無いのだ。一つ一つ区別するのではなく、一言で「車」と言い表すことができる。
この一括にする、ひとつのグループとしてまとめてしまう、というのが、物事を抽象的に見ることの基本であり、線を引かずに世界を見ることだ。たとえばイヌというのがいる。ダックスフンド、ブルドッグ、シェパード。様々なイヌがいるが、ひとまとめにすると、「つまりはイヌ」なのである。さらに、イヌの他にもネコ、ウシ、シカ、など様々な哺乳類がいるが、ひとまとめにすると、「要は哺乳類」なのだ。哺乳類だって、両生類、虫、鳥などとひとまとめにして「動物」と見ることもできる。動物だって、植物、菌、などとひとまとめにして「生命」と見ることもできる。この、どんどん引いていって、ぼかしていくこと。抽象化すること、それが線を引かずに見ることだ。
イライラする場面を考えてみよう。あなたが職場の上司だとして、部下が打ち合わせの時間に遅れたとする。予定の時間になっても部下はなかなか表れない。打ち合わせの相手方だって待っている。5分たっても10分たってもまだ来ない。15分たってようやく、打ち合わせ場所に部下が現れた。あなたは怒るだろうか。イライラをぶつけるだろうか。こんなときに、「打ち合わての時間に遅れた部下が悪い」とだけ考えるのが、すでに囚われている考えなのだ。もしも「だって遅れた人間が悪いのだから、怒ってもよくね?」としか考えられないのなら、囚われ具合はよっぽどである。色々な可能性が考えられる。もしかしたら交通事故を目撃して、怪我した人を助けていたのかもしれない。公共交通機関が遅れたのかもしれない。もし本当に寝坊などで遅れたのだとしても、部下が打ち合わせの予定に遅れたことで、その分、打ち合わせで言うはずだったアイディアが練られたかもしれない。ピリピリしていた雰囲気が、時間に遅れた部下がいたことで「バカですねえ」と和やかになったかもしれない。あらゆる可能性を視野に入れるのだ。無下に「遅れやがってコノヤロー、てめえのせいで台無しじゃねえか」とは言えないだろう。今わかっている部分だけでなく、これから状況が良くなるのかもしれない。未来の部分も視野にいれるのである。もしも「今」という時点だけで判断して怒ったりイライラしたりしていたら、視野の狭さを露呈することになる。
優しさとは、視野の広さであり、思慮の深さでもあるのだ。
例えば、ボクは子どもの頃に、「おじゃる丸」というアニメを見ていた。このアニメに「カズマ」というキャラクターがでてくる。小学生のカズマは、石が大好きだ。確か学校帰りに、道端に落ちている石ころを拾ってきて部屋に飾っておくような石マニアである。三角形の石だったり、スベスベの石だったり。カズマにとっては一つ一つが別々の顔を持った石なのだ。実際のカズマはそんなことはしないだろうが、もしも僕たちがカズマに対して「確かに言われてみれば違いはあるけど、大した違いじゃないんじゃない? どれも結局は石でしょ?」などと言おうもののなら、「何いってんだてめえ!? この石のスベスベ感がわかんねえのか!?」なんて言われるかもしれない。少なくとも、カズマが囚われている人間だとしたら、石の違いがわからないという人間に対して、「わからない人だなあ、教えてやろうか」となるだろう。そんなときに、「石の違いがわからない人もいるよね」と、線を無くせるのが優しさなのだ。
優しさとは、線を引かないで物事を見ることなのだ。線を引いて一つ一つを具体的に見ると、「こっちはこう」「そっちはそう」と、違いが見えてくる。「違いがわかる」と言えば聞こえは良いが、それは大抵、他の見えない人やわからない人に対して不寛容にもなる。優しさとは、あらゆる可能性を視野に入れることであり、そうすると怒ったりすることやイライラすることができなくなる。だって、怒ったりイライラすることは視野が狭いことだからだ。優しさを持つことのヒントは、抽象的に見ることだ。具体的に見ず、全てを同じに、フラットに、区別することなく、世界を混沌として見ることだ。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
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