書家の命題に学ぶ、「非行の兆しを見せた小学校低学年の子どもを素直に成長させる専門家」のミッションとは(3)
昨年の9月に、他の起業家さんのセッションを受けました。その時に聞かれたのが、「ミッションは何ですか?」でした。
なるほど。正直、考えていませんでした。自分はこの世で何をしたいのか。自分はこの事業をとおして、この社会で何をするのか。はっきりと答えることができませんでした。
でも確かに必要ですよね。はっきりとしたミッションが。自分を表すために。人に自分を伝えるために。己の事業を社会で表現するために。
今までずっと考えていました。自分との対話です。果たして自分は何をしたいのか。なんという言葉を使えば自分の心を表現できるのか。確かに自分の心の中に「◯◯したい」というものはあります。が、うまく表現できません。
そんなモヤモヤしている時にであったのが、柿沼康二さんの「書はアートたるか、己はアーティストたるか」です。一ヶ月位前にネットサーフィンしていて偶然この言葉を見つけました。いつかテレビで見た柿沼康二さんを実にうまく表現しているように感じます。私には非常に「刺さる」言葉でした。
この言葉に感銘を受けて作った私のミッションが、「子どもの幸せは何か、己は子どもを幸せにできるか」です。
「子どもに興味がある。子どもに良い影響を与える事業がしたい。子ども業界で働きたい」などと思っていますが、「これをすれば子どもが良くなる」というのが、はっきとしていません。多様な価値観があり、それぞれ環境が異なる多くの子どもたちに、何を施せばいいのか、模索しているような段階です。しかし、安っぽ言葉ではありますが、「幸せ」になってくれればとは思います。
子どもを幸せにする方法もはっきりとしません。多様な価値観、多様な環境にいる子どもたちを幸せにする方法も「コレ」というものがありません。おそらく子どもたちを幸せにする方法も多様なんだと思います。
「非行の兆しを見せた小学校低学年の子どもを素直に成長させる専門家」という私のキャッチフレーズは、「子どもの幸せ、子どもを幸せにする方法」を模索する中での、自分にできる一つの形態、一つの答え、という事になります。
非行なんかに走るのは、無駄に時間を浪費するだけです。それを私は、多くの非行少年と接する中でわかっています。非行に走って症状が進んだ中学生や高校生が、そんなに簡単に心を入れ替えないこともわかっています。そんな子どもに育った背景も、人より多く見てきました。非行少年らがどういう犯行をしているのか、非行少年らがどういう環境に置かれているのかも、人より見てきたつもりです。だから、「非行の兆しを見せた小学校低学年の子どもを素直に成長」させたいんです。
これからの私の生命活動は、「子どもの幸せは何か、己は子どもを幸せにできるか」に集約されます。私の生命活動の全ては、このミッション(命題)を軸に展開されることになります。
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