クリエイティビティと現実の葛藤。解決は農業出現以前の人類史だ〜山月記

2020.09.24 (木)

 

「己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」

Atsushi Nakajima. Sangetsuki (Japanese Edition) (Kindle の位置No.141-142). Kindle 版.

 

 

台風がそれて、関東にそれほどの被害は出ないようだ。

 

 

去年は千葉県に強烈な足跡を残した台風が2つもあって、千葉県各地で停電が長らく続いた。ネットやニュースでは「今後、台風はより強烈になる」ようなことを言っている。地球温暖化で、日本付近を通過する台風は、より強烈になるらしい。突発的な風雨もありうるので予想も難しい。

 

 

赤道付近から徐々に北上してくるのなら警戒のしようもあるし、心の準備もできる。けれど強力な台風が突如として現れるのであればそれはもう、心の準備すらできない。まるで龐煖(ほうけん)の来襲みたいな。

 

 

 

 

今回の台風12号は関東から逸れはしたけれど、それでも関東の空には雨雲が広がっている。朝から雨が降っている。こう雨が降っていると、いつも嫌な仕事が余計に嫌なものになる。足元が濡れるし、傘をもって移動しなければならないし。「嫌だ」という後ろ向きな気持ちと、雨という実質的な不快さで、自分の生活に対するため息がより深いものになる。

 

 

雨の中で傘をさしながら皆んなが職場に移動しているけれど、誰もが「もっといい生活がしたい」「こんなはずではない」なんて思っているのだろう。雨の日の朝は、面倒臭さでそんな思いがより強くなる。

 

 

「自分の能力が発揮できる場所はもっと他にあって、今の生活は一時的なかりそめのものでしかない」なんて思っているのかもしれない。交差点で溜まっている群衆を見ると、負のオーラも溜まっているように見える。

 

 

山月記は面白かった。短い中に内容が詰まっていて、無印のヒット商品のように思えた。「シンプルだけれどコンセプトはめっちゃ考えた」みたいな。

 

 

本当は詩を作ってクリエイティブに生活をしたいのだけれど、なかなか結果がでない。人の下で働くのが嫌で、会社もやめている。だのにこの有様。自分の同期はもうとっくに自分より地位も得て、給料もよりもらう身分になっている。「自分は情けない」と思うと同時に、「自分はこんなはずじゃない」とも思う。

 

 

「一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった」

Atsushi Nakajima. Sangetsuki (Japanese Edition) (Kindle の位置No.19-25). Kindle 版.

 

 

山月記の李徴の悩みは、おそらくどの世代、どの時代の人も抱えている普遍的な悩みなのだと思う。皆んなが平静を装いながら、「かりそめの自分を抜け出してもっとクリエイティブに!」と思っている。

 

 

山月記を読む前、「漢文体で、主人公が虎になってしまう話」程度には内容をわかっていた。けれど読み始めてすぐに「これが来たか」と思った。「またしてもこの悩みか」と。舞台が現代日本ではなく古代の中国で、夜の山の中で月明かりに照らされている、という現実離れした舞台ではあるものの、主人公李徴の言わんとすることは、現代日本の誰しもが思っている悩みだったのである。

 

 

僕たちは普段、職場に向かいながら、仕事をこなしながら、自分の個性を発揮できる場所を探している。「自分らしく」なんて願っている。けれど「クリエイティブに生きたい!」なんて考えながら、そんな考え事態が全然クリエイティブじゃないのだ。周りと同じ。誰もが一緒。全然独創的じゃない。

 

 

「創造的でありたい」と願いながら、創造できていない。創造できていないことに気づいていないのだ。自分が創造的だと勘違いしている。自分の悩みが自分ひとりのものだと思っている。時代も年代も越えた隴西の李徴がおんなじことで悩んでいたというのに。

 

 

この悩みはいつか無くなる日がくるのだろうか。人は「もっとクリエイティブに生きたい」という悩みから開放される日がくるのだろうか。誰もが被雇用者という立場を捨てて、自分勝手に独創的に生きられる時代がくるのだろうか。

 

 

この悩みが宇宙のように普遍だとすると、解決するのは難しいかもしれない。どこへ行っても、いつの時代になっても社会は同じ悩みを持っているのだ。「社会とはそういう問題をはらむものだ」「人間とはそういう問題をもつものだ」という「諦めろ」的な解決しか出て来ない。

 

 

けれど一縷(いちる)の望みをかけるとしたら、「普遍だと考えられがちなものでも意外と普遍じゃない」ということじゃないだろうか。「ずっと昔からあるようなものであっても、意外とできたのは最近」ということだ。

 

 

話は遠目になるけれど、今でいうような「社会」ができたのは、人類史という目から見ると意外と最近である。農業が始まって初めて僕たちの祖先は集団での生活ができるようになったのだけれど、農業が出現したのはほんの1万年前ほど前のことだ。それまで僕たち人間は狩猟採集民だった。今のような社会を形成せず、小集団で狩りと移動をしながら生活していたのだ。

 

 

 

 

ヒトがチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのが700万年前。現生人類ががクロマニヨン人とは別の道を歩み始めたのが約10万年前。人類という歴史から見ると、僕たちヒトはほとんどの時間、狩猟採集民として暮らしていたのであり、農業ができて今のような社会ができたのは、ほんの最近の話なのだ。

 

 

つまり、「今のような社会は決して普遍じゃないよ」ということだ。

 

 

仕事があって、職場があって、上司がいて、被雇用者がある。そんな社会に皆んなが不満を持っていて、誰もがクリエイティブに生きたいと思っている。

 

 

山月記を読むと、「なんだ、李徴の時代もそうだったのか」と思ってしまいがちだ。「現代と同じ悩みを古代中国の人間が持っているのなら、いつまでたってもこの『クリエイティブに生きたい』という悩みは解決できないものなのだろう」と思ってしまいがちだけれど、古代中国という時点すら人類史という目で見ると、ごくごく最近の話になってしまう。

 

 

職場や仕事や組織に嫌悪を感じる悩みは社会ができてから発生したものだと思うけれど、社会ができたのは農業が始まってからであって、そんなものはちょっと前からの話。そう考えると、一見人類普遍の悩みに思える「職場」や「仕事」や「上司」や」「組織」という問題も、案外一枚岩なのかもしれない。意外ともろく崩れ去るものなのかもしれない。

 

 

山月記の李徴の悩みを読んで一瞬、「お前もかよ」と思った。「ここでも出てきたか」と。「それほど普遍なのかよ」と。けど確かに山月記やそれに出てくる李徴の悩みは重厚だけれど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に人類史も重厚だよ、と。山月記や李徴の悩みが覆される日もくるよ、と。

 

 


 

 

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