千葉とうしろうが警察に求めたのは何だったのか
私が警察組織に違和感を覚えたのは、拝命して2年程たってからでした。その辺りから、徐々に「定年までいる職場ではない。」と思うようになりました。
もともと私は大学卒業後の5年間、民間企業で働いていました。民間企業で仕事をする中で試験をパスして公務員になったのです。私にとって公務員試験をパスするのは容易ではなく、仕事帰りに勉強して、体力もつけて試験に挑み、合格したのです。しっかりと事前準備をしてなったので、行き当たりばったりでなったわけではありません。
組織に骨を埋めようと思っていました。せっかくなった警察官ですから、定年まで働いて、警察人生を謳歌しようと思っていました。向上心もありました。階級を上げて、組織の中で影響力を持ちたいと思っていましたし、自分が中心となって、難しい仕事を回せるようになりたいと思っていました。
しかし子どもと一緖に生活していると、それどころではありません。予防接種だ検診だで、予定をいれなくてはならず、仕事との折り合いがわからなくなります。
私の妻も、子どもが熱を出している日に「いってくるよ」と言って出て行こうとする私を快く見送ってくれる女性ではありません。毎日毎日朝はケンカです。子どもが熱を出して床に倒れているそばで、どっちが仕事を休むということで、よくケンカしていました。結局いままでで私が休んだのは、ある冬にインフルで子どもが熱を出したときの一回だけです。あとは全て妻に仕事を休んでもらいました。
私がいた職場では、「子どものために男が仕事を休むなんてありえない。」「はってでも出てくるのが警察官だろう」という雰囲気がありました。ですので私が仕事を休むことは、結局その一回きりでした。あとは妻に仕事を休んでもらっており、職場での妻の立場も悪くなっただろうと思います。
そんなことをしているうちに、「自分は警察組織では上に上がれないな」と思うようになったのです。警察組織で上に上がるには、歯を食いしばってでも職場にかじりつく根性が求められます。職場に居続けることが苦でない人も中にはいるのかもしれませんが、家庭で「どっちが休むか」なんてケンカをしていては、いつまでも職場に居続けるわけにもいきません。組織で上への階段を上るには、職場で存在感を出し、自分をアピールし、上司に吸い上げてもらうしかありません。心置きなく純粋な気持ちで自分をアピールするには、私は不適格だったのです。
そうなると、だんだんと組織に対する魅力も薄れてきます。組織の中で自分の可能性が狭まることを感じると自分の居場所でない気がしてきます。組織の階段を登ろうと意欲的な同僚と自分を比べて、意欲的になれない自分が、組織に合わない人間だと思うようになったのです。
私が組織に求めたのは、子育てもできるし出世もできるしという都合のいい職場だったのですが、そんなものが警察にあるはずもありませんでした。
というわけで、定年まで警察として勤めるのではなく、別のところで生活費を稼げるようになりたいと思うようになったのです。警察以外の道を探すようになりました。
警察官になる前に私は民間企業で働いており、そこから転職して警察官になりました。転職での経験と、学生時代の就職活動の経験から、「外部からでは転職もしくは就職先の組織の本当のところはなかなか見えない」という考えを持っていました。組織の採用担当者が本当のところを話しているのかどうかわかりませんし、本当のところを話していたとしても、採用担当者も組織の本当の所をしっているのかわかりません。採用担当者が言っていた部署とは違う部署に配属される事も考えられます。
ですので、「転職はバクチでしたかないのでは」と私は思っています。
そもそも、自分の方向性と組織の方向性が完全に一致する事はありえません。仕事をしていて一番力を出せるのは、自分の方向性・好み・適正と、組織の方向性や雰囲気が一致しているときです。自分が好きな仕事はやっていて楽しいですし、それが自分のためになると思うと、辛さが楽々と経験値として積み重なります。
しかし組織の被雇用者でいる限り、自分と組織の方向が一致することはほとんどありません。点と点が一致する奇跡を信じて待っていては、何十年と過ぎてしまいます。常に自分と仕事内容の方向性が一致していれば、常にエネルギッシュに働けるため、生産性も高いはずです。
そこで出てきたのが「起業」という道です。いろいろと調べていくうちに、起業の方法を教えてくれるT塾を見つけました。数ある起業塾の中でT塾を選んだのは、無料相談の中でT塾の長が「宿題多いよ。」と言っていたからです。
もともと楽して起業しようとしたわけではありません。実際、世間に名の知れる起業家といわれる人たちは、学生の頃からの成績に加えて数々の経歴を持っている人たちです。そんな人たちが持っている「起業」という経歴を自分も手にしようとしているのです。
当時は発想が乏しく、もっと組織的・制度的な教育の元で起業を勉強することも考えていました。ビジネススクールや大学で勉強しなおすことです。そのくらい、お金と時間がかかることだと思っていました。ですので、安易に「起業なんてすぐにできるよ」と言わず、「宿題多いよ」と言って厚いファイルを見せてくれたことに、T塾の本音を感じたのです。そこでT塾で学んでみることにしました。
というわけで、起業の道を選んだのです。
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