子どもの非行を防ぐのに必要な物事の見方とは
見えないものを見るようにするのが良いと思います。世の中にはハッキリしているものと、モヤモヤしているものがあります。これらはどのものにも存在していて、ハッキリしているものとモヤモヤしているもの、2つセットです。この関係を見ることができるようになると、無理に流れに逆らって、歪みが出るようなことを防ぐことができます。
例えばこの間、オセロで世界チャンピオンになった小学生男児がいました。「自分の子どもも、この小学生のようにしたい!」って思った時に、おそらく「オセロ」って言うのはハッキリしたものでしょう。だけどおそらくこの場合において、「オセロ」って言うのは本質ではない。
オセロを学ばせたからって、子どもが世界チャンピオンになれるわけではないし、ましてやそれが良い教育であるわけがない。この場合、本質って言うのはおそらく「子どもが興味を持つこと」とか「子どもが好きなもの」であった、これがモヤモヤしたものなんです。
モヤモヤしたものっていうのは大抵、ハッキリしたものの後ろ側にあって、なかなか見えずらいんです。ですけどほとんどの場合、モヤモヤしたものの方が物事の本質である場合が多い。想像力を働かせるとか、自分で考えるってことです、モヤモヤしたものを見るってことは。
例えば私は柔道二段です。この柔道二段はどこに行っても誰でも理解しやすいものなので、これだけ聞いていると、私が柔道の強者のようなイメージを持つでしょう。ですが実際は、私の柔道はダンスのようなものです。相手が阿吽の呼吸で私に合わせてくれないと、私は相手を投げることはできません。柔道の段っていうのは、分かりやすいメリットがある反面、柔道の本質を表しきれないっていうデメリットがあるんです。
柔道の本質っていうのは、おそらく「柔よく剛を制す」とか「不屈の精神」とか「華麗な投げ」などだと思います。ですけどこれっていうのは、段にはなかなか現れません。柔道二段の私がいうのですから間違いありません。
物事の本質っていうのは、ハッキリと表すことが難し良いんです。「イチゴって何?」って聞かれたとして、何て答えましょう。「赤い色」「果物」「ツブツブがある」「緑色のヘタがある」「美味しい」、どれもイチゴを表していますが、どれも断片的です。確かにどれもイチゴの一部分には違いありませんが、「じゃあ赤い色であればイチゴなのか?」「果物であればイチゴなのか?」と聞かれると、そうではありません。いちごの本質を言おうとしたら、これら全ての答えを合わせてもまだ足りないくらいです。
ですから、「見えないものを見るようにする」っていうのは、「モヤモヤしたものを意識する」「ハッキリしたものにとらわれないようにする」って言うことであって、それは物事の本質を意識するって言うことでもあります。
このモヤモヤしたもを見るってことは、人生において非常に有効です。それは子育ても例外ではありません。私は警察の経験を通して、多くの犯罪者やチンピラや非行少年と接してきました。そして彼らの生活をものぞいてきました。家庭環境や家族や家をも少しずつ見てきた、と言うことです。
そこで思うのが、彼らの生活には「歪み」があると言うこと。どこか自然にの流れに逆らっている不自然な部分があるのです。それが、歪みに見えるのです。生活のどこかで無理をしたりしているので、それが自然な流れにシワを作るのだと思います。
例えばある家庭不和の家庭では、リビングに物が散乱していました。要するにゴミ屋敷になっていたんです。しかも、そこに住んでいる人たちは、自分たちの家がゴミ屋敷になっていることに気づいていないんです。話をする中でゴミ屋敷になっていることを伝えようとしても、「そんなことはどうでも良い」とか「そんなことより」ってな具合で気付いてくれません。
ある非行少年の家庭では、家庭内で聞くに耐えない罵詈雑言が飛び交っていました。お互いにかなりえげつない悪口を言い合っているのです。ですが当人たちは、悪具を言い合っていることについて「しょうがない」などと言って、改善しようとしません。自分たちの家庭の中に歪みが生じていることを、当人たちはなかなか気づくことができないのです。
警察として接してきた人たちは、どれもこんな感じです。周りが見えていない。自分たちの主観一辺倒になって、客観的な視点を持てないでいます。分かりやすい自分の頭の中を優先して、考えなければ決して分かることがない他人の頭の中を考えようとしません。自己中になって、自分の価値観を優先して、他の人の価値観を想像できないでいる。
自分たちの生活がどんなに歪んでいるか、相手の頭の中はどうなっているか、本質っていうのは何なのか、考える余地がなくなっているのです。ハッキリと分かっている自分の価値観を優先することで頭が埋まっているのです。
ですから、意識してなかなか見えないモヤモヤしたものを見ようとすることが必要なんです。私たちは普段、色眼鏡を掛けて世界を見ています。これは、分かりやすいものを見ようとする色眼鏡です。人間であれば、分かりやすいものを見ようとするのは当たり前なんです。誰も頭を使いたくありません。省エネでインプットできるならそれに越したことはありませんから。分かりにくいものは、「分かりにくい」というだけで見えてもらえないんです。
ですけどさっき言ったように、物事の本質っていうのは、このモヤモヤしたものであることが多い。本来、このハッキリしたものとモヤモヤしたものは、同等です。どっちが偉いわけでもないし、どっちが有利なわけでもないし、どっちが大切なわけでもありません。森羅万象にあるモヤモヤしたものとハッキリしたものは、あくまで軸です。方角のようなものです。北も南も東も西も、それぞれに優劣はありません。ただ「そっちの方」っていうだけです。
だけど、私たちはハッキリしたものを好んで見て、モヤモヤしたものを好んで見ないようにするバイアスがあるんです。だから意識してモヤモヤしたものを見たほうがいい。意識してモヤモヤを見ることで、ハッキリしたものとモヤモヤしたものを見る割合は同等でしょう。
子どもの非行を防ぐには、見えないものを見るようにする事です。それは、考えたり想像したりして、「相手の価値観がわかるようになる」とか、「客観的に見られるようになる」とか、「俯瞰できるようになる」っていう事です
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プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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